『黒田官兵衛』 その15

『卓越した官兵衛の戦略』


秀吉は姫路城到着後5日目には、織田家に帰服を申し送っている播州内の豪族等の人質を全部とりまとめて

いますが、この迅速さは官兵衛が手配りをしていたためであった。

官兵衛はなんとしても、小寺家に対する秀吉の疑惑を解消しなければならない。

小寺政職の御着城跡
on.御着城跡 002

また、まだ織田家に帰服しない豪族などを単身軽装して説得につとめ、明石、梶原、別所などを帰服させた。

こういう間にも、秀吉は頻繁に官兵衛を本丸に召しては、中国経略の意見を聞いたが、官兵衛の調査の周到

なこと、戦略の卓抜なことにいつも驚くばかりであった。

こうしたことに対して秀吉の官兵衛に対する信頼は深まる一方で、ついに誓書を取り交わして兄弟の契りを結

んだと、黒田家譜は伝えます。

官兵衛の働きによって、播州中の平和的手段を以って帰服すべきものは全部帰服させたので、以後、秀吉は

帰服を承知しない連中の征伐にかかる。

官兵衛は常にその軍に従って、信長から秀吉に与力衆の一人として付けられている竹中半兵衛とともに左右

の先手を勤めて、戦うごとに戦功を立てている。

竹中は当時、智謀第一と言われた人物ですが、官兵衛の知略もこれに劣らなかったので、当時の人々は秀吉

陣中の張良・陳平と称したという。

この2人は漢の高祖の智嚢であった人たちです。


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いつもありがとうございます。


pig 20140321


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:設楽ヶ原の戦い
勝頼は先年徳川家康に寝返った奥平親子を討伐するために兵1万5千を率いて、奥平信昌が立て籠もる長篠城への攻撃を開始し、織田信長・徳川家康の連合軍およそ3万8千と設楽ヶ原で対峙する。
数で劣る武田軍は攻めの勢いを喪失し総崩れとなり、敗走する際に馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、原昌胤、真田信綱・昌輝兄弟等、有能な将士を次々と失っています。

≪本日の問題≫


                                       <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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こんばんは(*^^*)

秀吉のもとにそれほどの優秀な人物が集まるのはやはり人徳なんでしょうね

天下人になるのも当たり前ですよね

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんは

いつもありがとうございます!

> 秀吉のもとにそれほどの優秀な人物が集まるのはやはり人徳なんでしょうね

ですよね~
秀吉さんは人の心を掴む天才で、また度量の大きかったところに、人が集まって
きたのかも知れませんね。^^
憎めない人だったのではないでしょうか。
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