『黒田官兵衛』 その23

『首桶持って鳥取城に入城』

官兵衛が秀吉の参謀格として、因幡の鳥取城を囲んだのは1581年6月のことであった。

鳥取城は城主・山名豊国が、常に毛利、織田の二股をかけて決断がつかない。

たまりかねた城兵たちは、山名豊国を追放して、しかるべき御大将を派遣して欲しいと毛利方に要請した。

鳥取城 (鳥取城登城記は「こちら」です。)
to.鳥取城 004

今や毛利方の劣勢は覆うべくもなく、鳥取城は毛利方の山陰地方の最後の砦であった。

吉川元春は一族の吉川経家を城将に命じた。

経家は戦いの大局の見える将であったので、再び生きて故郷に帰ることはあるまいと、兵400を連れて、

自らの首桶を持って鳥取城に入ったという。

秀吉軍が2万の大軍で鳥取城を囲んだのは、この直後であった。

天険要害堅固の鳥取城は、力攻めでは犠牲が増えるばかりと見た官兵衛は、兵糧攻めを秀吉に献策した。

官兵衛は、鳥取城包囲に先立って、まったく敵の気づかない策略を進めていたのです。

若狭の商船を因幡に下して、この地の米・五穀類を買い占めさせたのです。そのため五穀が急騰した。

鳥取城にいた武士たちでさえ、秀吉方の謀略とも気づかず貯えていた五穀を目前の利益にひかれて売ると

いう始末であった。

城に入った吉川経家は、城内の兵糧があまりにも少ないことに驚いた。

城兵たちは、暫く籠城していれば毛利の大軍が救援に来てくれると信じていたのでしょう。


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pig 20140517


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:名胡桃城
後北条方で沼田城将猪俣範直による名胡桃城占領対し、秀吉は後北条氏の惣無事令(私闘の禁止)に違反したとして、その小田原征伐を行っています。

≪本日の問題≫


                                          <参考文献:黒田官兵衛(浜野卓也薯)>
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