『黒田官兵衛』 その26

『官兵衛生涯の不覚』

一方、「老人談話」では、本能寺の凶変をこう伝えます。

官兵衛はするするといざり寄って、秀吉の膝をほとほとと叩き、ニコリと笑って言った。

「ご運のひらけさせ給うべきが来たのでござる。よくさせ給え」

黒田家譜より、こちらの方がずっと生き生きしていて、小説に良く出てくる場面です。

黒田官兵衛(1546-1604年)
ku.黒田官兵衛

秀吉はうなずいたが、こちらの心中の機微を苦も無く見抜いた官兵衛の鋭さと、こんな時に早くも感傷をふり

捨てて開運の好機到来と見る根性のたくましさに驚き、油断のならぬ人物として見るようになったと伝えます。

信長の家来から見れば、恐ろしい主人であった。

いつ、その激しい雷の怒りが爆発するかわからない主人です。ひとたび機嫌を損ずれば、唯今までの寵臣も

追放し、死を命ずる主人だったのです。

しかも、病的なほどに猜疑癖のある主人です。これに仕えるには四六時中緊張しきっていなければならなか

ったのです。

だから、秀吉にしても、その死を知った時、驚愕し、悲嘆しながらも、先ず心中のどこかには開放感があり、

続いては、これでやりようによっては、おれが天下人になれるかも知れんぞと思ったに違いないのでしょう。

それを他人からハッキリと指摘されては、胸の奥底に土足で踏み込まれたような気がしたことでしょう。

また、ここに気のまわるところを見ると、同じような機会があれば、こいつはおれと同じことをするのかも知れ

ないという思いもしたでしょう。

つまりは、鋭さあまってつい見せてしまった鋒鋩(ほうぼう:刃物の切っ先)であったのです。

官兵衛の生涯の不覚であったことは間違いありません。

官兵衛ほどの人物、しかも数々の大功ある人物に、秀吉が生涯わずかに12万2千石しか与えなかったという

のはこのためであると伝えます。


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いつもありがとうございます。


sakura 20140607


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:石田三成
昌幸を「表裏比興の者」と評した文書は、1586年の上杉景勝の上洛を秀吉が労う内容の文書で、豊臣家奉行の石田三成・増田長盛が景勝へ宛てている添書条に記されているそうです。

≪本日の問題≫


                                       <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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こんにちは(*^^*)

そして高禄を与えた家康に滅ぼされるとはなんとも皮肉なものですね…( ´△`)

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんわ~

いつもコメントありがとうございます。

> そして高禄を与えた家康に滅ぼされるとはなんとも皮肉なものですね…( ´△`)

そうですね。

家康さんが関ヶ原合戦で負けていたら群雄割拠が続き、戦国時代が続いていたの
かも知れませんね。

遅れて生まれてきた政宗さんあたりが台頭して来たして・・・。
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