『黒田官兵衛』 その27

『秀吉を天下とりにしたのは官兵衛』

官兵衛は飛脚の命を助けています。

秀吉が

「その飛脚、殺さずばなるまい。下郎は口がしまりなきもの。人に語ったら、敵に漏れるであろう。急ぎ殺せ」

と言ったところ、官兵衛は

「かしこまりました」

と言って席を立ったが、1日半で240kmの道を馳せつけたのは人間業ではない、天の助けのあったればこそ

のことである。殺すは冥利(みょうり:神仏が知らずうちに与える利益)につきると思案した。

黒田官兵衛(1546-1604年)
ku.黒田官兵衛

台所に来て、疲れ切って熟睡している飛脚を揺り起こし、自分の陣所に連れて帰り

「本能寺の変のことは決して人に語るな。また、人に会うこともならずぞ」

と、固くいましめて、家来に預けて隠しておいたという。

恐らく事実であろうと思います。

官兵衛は人を殺すことを出来るだけ避けた人だったからです。

もっとも、この飛脚は疲れ切っているところに、にわかに大食したので、間もなく病気になり死んだという。

官兵衛は、ここで秀吉が明智を討って信長の弔い合戦をすることが秀吉の雲蒸竜変(うんじょうりょうへん:時

流に乗じて、英雄・豪傑が大活躍すること)の大機会であることを承知している。

また秀吉にライバルが多いことも知っている。

だから

「急ぎたまえ、一刻も早く馳せ上がりなされよ」

と、急ぎに急がして馳せ上がらせているのです。

すなわち、この点では秀吉を天下とりにしたのは官兵衛だと言えるのでしょう。

この時、官兵衛37歳です。



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いつもありがとうございます。



pig 20140614


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:吉川元春
吉川元春は、父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、以後、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げています。
ちなみに、毛利興元は兄弟で毛利輝元は元就の孫です。

≪本日の問題≫


                                       <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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こんばんは(*^^*)

昨日の大河はうるっと来ました(ノ_・。)

鶴太郎は立派な役者になりましたね

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんわ~

大河ドラマ見てられますか。

> 鶴太郎は立派な役者になりましたね

そうかも知れませんが、小寺政職の末裔の方もいやっしゃるのに
失礼な演技をしていなぁ~
と、さめた気持ちで見ていました。
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