中国の覇者「毛利元就」 その4

『芸州一の大豪族に』

芸州内で最も大きな勢力を持っていた豪族は、芸州守護であった武田氏です。

元来は甲斐の武田氏の分れで、若狭守護の武田氏の分れで、若狭守護の武田氏とも同族です。

武田氏は大内氏に属していたので、元就は度々これと戦っています。

吉田郡山城
吉田郡山城 002

古い家ですから潜勢力は強く、徹底的に勝てるというところまでは行かなかったが、元就38歳の時、不意に

武田氏が滅んでしまった。

不意に滅んでしまったとは、それは元就の謀略によってであった。

その頃の武田の当主・道和が病死して、養子の信実というのが後継人として立ったところ、これが老臣らと不

和となった。

元就は、これを探り知ると、ひそかに手を伸ばして老臣ら数人を誘惑籠絡したので、家中の不和は一層深刻

となり、信実は憤りのあまり国を捨てて、若狭の武田氏を頼って出てしまったのです。

武田の支配していた芸州の小豪族たちは36家あったが、主家が滅んでしまったので、かねてより籠絡されて

いた者はもちろん、その他も元就を支配者として仰ぐ者が多数いたので、元就は芸州一の大豪族となったの

です。



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いつもありがとうございます。


sakura 20140620


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:無欲正直な人
尼子経久は、家臣に対しては非常に気を使う優しい人物であった。
経久は家臣が経久の持ち物を褒めると、たいそう喜んでどんな高価なものでも、すぐにその者に与えるため、冬は薄綿の小袖一枚で過ごしていたとか。
経久のことを「天性無欲正直の人」と評したという。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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西の桶狭間

 こんにちは。
 有田中井手の戦いで頭首武田元繁を討てたのも大きかったでしょうね。やはり大大名になる人物には一度や二度、こういう大ピンチがあるんでしょうな。そこにあるのは実力や能力だけでなく、人の手にはどうにもならない天運も働いていたと思います。

こんばんは(*^^*)

若狭の武田は知ってましたが芸州の武田は知りませんでしたf(^_^;

今でも子孫は残ってるんですかね?

miss.key さま

こんにちは

コメントありがとうございます!

そうですか。
西の桶狭間ということばは、初めて聴きました。

勉強になります♪

たけぞう さま

甲斐の武田氏は滅んでしまいましたよね。

安芸武田氏の子孫は、呉の私立高校の理事長をされて

いるようですよ。
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