中国の覇者「毛利元就」 その8
『2つの養子政策』
尼子氏を撃退した頃、元就は3男の隆景を備後沼田の高山城主・小早川家に養子に出しています。
小早川家の居城は備後南部の沼田にあったが、その所領の大部分は芸州竹原にあったのです。
当主の正平は尼子征伐から帰陣中に戦死して、その子・又鶴丸は盲目だったので、重臣らが相談して隆景を
迎えたのだという。
吉田郡山城の元就公像

しかし、家中にはこの処置に不服の者があり
「たとえ盲人であられようと、又鶴丸様こそ御血筋、主と仰ぐべきである。もし、また養子をとられるにしても、ご
一門から迎えられるべきで、他氏の人を迎えるとは心得ぬ」
と言ったので、その者どもを隆景は斬っている。
この養子縁組は、元就が相当に根回しを行い小早川家の一族や老臣らを籠絡したのだと思われます。
続いて、次男の元春が吉川家の養子となって、家督を継いでいます。
吉川家は元就の妻の実家で、吉田からそう遠くはない新庄の小倉山城主であった。
かなりの大身であったが家中に不和が起こり、重臣等が元就のもとに来て
「ご主人・興経は闇主でござれば、これが当主である限り滅亡は火を見るより明らかでござる。ご次男の元春
様を賜って家を継がせ申し、興経を隠居させたく存ずる」
と言ったので、元春を養子に出したのだという。
この時も、吉川家譜代の臣で小倉山城代であった、江田因幡守父子が
「この城をわれらにあずけ給うたのは、手切れとなれば潔く戦えとの思い召しであったろうものを、かようなこと
となったこと、残念である」
と言って、父子ともに切腹していることから、前から元就が手を入れて家中の不和をあおったのではないかと
思われます。
ともあれ、毛利家の身代は2つの養子政策で、大きく太ったのです。
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:170年
月山富田城は、山陰の覇者・尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏6代の盛衰の舞台となっています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
尼子氏を撃退した頃、元就は3男の隆景を備後沼田の高山城主・小早川家に養子に出しています。
小早川家の居城は備後南部の沼田にあったが、その所領の大部分は芸州竹原にあったのです。
当主の正平は尼子征伐から帰陣中に戦死して、その子・又鶴丸は盲目だったので、重臣らが相談して隆景を
迎えたのだという。
吉田郡山城の元就公像

しかし、家中にはこの処置に不服の者があり
「たとえ盲人であられようと、又鶴丸様こそ御血筋、主と仰ぐべきである。もし、また養子をとられるにしても、ご
一門から迎えられるべきで、他氏の人を迎えるとは心得ぬ」
と言ったので、その者どもを隆景は斬っている。
この養子縁組は、元就が相当に根回しを行い小早川家の一族や老臣らを籠絡したのだと思われます。
続いて、次男の元春が吉川家の養子となって、家督を継いでいます。
吉川家は元就の妻の実家で、吉田からそう遠くはない新庄の小倉山城主であった。
かなりの大身であったが家中に不和が起こり、重臣等が元就のもとに来て
「ご主人・興経は闇主でござれば、これが当主である限り滅亡は火を見るより明らかでござる。ご次男の元春
様を賜って家を継がせ申し、興経を隠居させたく存ずる」
と言ったので、元春を養子に出したのだという。
この時も、吉川家譜代の臣で小倉山城代であった、江田因幡守父子が
「この城をわれらにあずけ給うたのは、手切れとなれば潔く戦えとの思い召しであったろうものを、かようなこと
となったこと、残念である」
と言って、父子ともに切腹していることから、前から元就が手を入れて家中の不和をあおったのではないかと
思われます。
ともあれ、毛利家の身代は2つの養子政策で、大きく太ったのです。
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:170年
月山富田城は、山陰の覇者・尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏6代の盛衰の舞台となっています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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コメントの投稿
NHKの大河ドラマの名シーン
こんにちは。
乗っ取りであるにもかかわらず、此の両川が毛利を飛躍させ、支え、守った。つまり、禍根を残していないんです。元就の智謀の凄さですね。
私は大河ドラマは基本的に好きではないのですが、此のシーンだけは忘れられません。名前は覚えていませんが、小早川家の重臣が隆景の家督相続に際し
「重大な事なので満場一致をもって決する事とする。異議のある者は此の場で申し出よ。(というニュアンス)」
と言うと、反対派がここぞとばかり反対します。
「反対でござるか」
「反対でござる」
「なれば・・・」と抜き出す人斬り包丁。瞬く間に反対派の二人をぶった切って
「これにて満場一致にござる。」・・・。しびれましたよ。
乗っ取りであるにもかかわらず、此の両川が毛利を飛躍させ、支え、守った。つまり、禍根を残していないんです。元就の智謀の凄さですね。
私は大河ドラマは基本的に好きではないのですが、此のシーンだけは忘れられません。名前は覚えていませんが、小早川家の重臣が隆景の家督相続に際し
「重大な事なので満場一致をもって決する事とする。異議のある者は此の場で申し出よ。(というニュアンス)」
と言うと、反対派がここぞとばかり反対します。
「反対でござるか」
「反対でござる」
「なれば・・・」と抜き出す人斬り包丁。瞬く間に反対派の二人をぶった切って
「これにて満場一致にござる。」・・・。しびれましたよ。
miss.key さま
miss.keyさん、コメントありがとうございます!
中国の知将・元就さん、お詳しいんですね☆
でも、跡継ぎには苦労があったようで、なかなか旨く行かないものですね。
元就さんの墓参りをしてきましたが、さすがという感じでした。
中国の知将・元就さん、お詳しいんですね☆
でも、跡継ぎには苦労があったようで、なかなか旨く行かないものですね。
元就さんの墓参りをしてきましたが、さすがという感じでした。