中国の覇者「毛利元就」 その11
『厳島合戦』
江良は元就が恐ろしき敵であることを知っているので、その頃しきりに陶に、元就と争うべきでない。籠絡して
味方になるべきだと説いていたので、慶安の報告を聞いた陶隆房はすっかり江良の裏切説を信じて、討手を
遣わして江良父子を殺した。
厳島神社 (厳島参拝記は「こちら」です。)

陶が動員できる大内軍3万以上に対して、当時の毛利軍の最大動員兵力は4~5千であった。
正面から戦えば、毛利氏に勝算はない。
元就は、敵は大軍、味方は貧勢であるので、陶軍を狭い厳島に誘い出すことを考え、厳島に城を築き、わざと
「厳島に城を築いたのは、わが生涯の過ちであった。もし敵がこの島を占領すれば、海上輸送の途を絶ち切ら
れる。しまった、しまった」
と流言を流す。
これに引っかかった陶は、自身が大軍を率いて交通と経済の要衝である厳島に築かれた毛利氏の宮尾城を
攻略すべく、厳島に上陸した。
しかし、厳島周辺の制海権を持つ村上水軍が毛利方についたこともあり、陶晴賢は自刃。
毛利軍は厳島から引き上げて対岸の桜尾城に凱旋し、ここで晴賢の首実検も行ない、元就は主君を討った
逆臣であるとして晴賢の首を鞭で3度叩いたという。
この戦いでの陶軍の死者は4,700人にのぼったともいわれる壮絶なもので、戦後、元就は血で汚れた厳島
神社の社殿を洗い流して清めさせ、島内の血が染み込んだ部分の土を削り取らせたという。
この後、大内氏はその勢力を大きく弱め、衰退の一途を辿っていくことになる
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫ (7月6日の問題)
正解:秀吉が破却した
秀吉は、関白職を養子の秀次に譲り聚楽第は秀次の邸宅となっていましたが、秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、1595年7月に高野山に追放され切腹しています。
秀次の居城であった聚楽第も翌8月以降、徹底的に破却しています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
江良は元就が恐ろしき敵であることを知っているので、その頃しきりに陶に、元就と争うべきでない。籠絡して
味方になるべきだと説いていたので、慶安の報告を聞いた陶隆房はすっかり江良の裏切説を信じて、討手を
遣わして江良父子を殺した。
厳島神社 (厳島参拝記は「こちら」です。)

陶が動員できる大内軍3万以上に対して、当時の毛利軍の最大動員兵力は4~5千であった。
正面から戦えば、毛利氏に勝算はない。
元就は、敵は大軍、味方は貧勢であるので、陶軍を狭い厳島に誘い出すことを考え、厳島に城を築き、わざと
「厳島に城を築いたのは、わが生涯の過ちであった。もし敵がこの島を占領すれば、海上輸送の途を絶ち切ら
れる。しまった、しまった」
と流言を流す。
これに引っかかった陶は、自身が大軍を率いて交通と経済の要衝である厳島に築かれた毛利氏の宮尾城を
攻略すべく、厳島に上陸した。
しかし、厳島周辺の制海権を持つ村上水軍が毛利方についたこともあり、陶晴賢は自刃。
毛利軍は厳島から引き上げて対岸の桜尾城に凱旋し、ここで晴賢の首実検も行ない、元就は主君を討った
逆臣であるとして晴賢の首を鞭で3度叩いたという。
この戦いでの陶軍の死者は4,700人にのぼったともいわれる壮絶なもので、戦後、元就は血で汚れた厳島
神社の社殿を洗い流して清めさせ、島内の血が染み込んだ部分の土を削り取らせたという。
この後、大内氏はその勢力を大きく弱め、衰退の一途を辿っていくことになる
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫ (7月6日の問題)
正解:秀吉が破却した
秀吉は、関白職を養子の秀次に譲り聚楽第は秀次の邸宅となっていましたが、秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、1595年7月に高野山に追放され切腹しています。
秀次の居城であった聚楽第も翌8月以降、徹底的に破却しています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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こんばんは(*^^*)
織田が今川を破った時もそうですが最大のピンチを潜り抜けてこそ未来は開かれるんですね
やはり、諦めないことが後の繁栄につながるのですかね?
方々を想うと可能性は無限に広がり励みになります
やはり、諦めないことが後の繁栄につながるのですかね?
方々を想うと可能性は無限に広がり励みになります
たけぞう さん
たけぞうさん、こんばんは
いつも、コメントありがとうございます!
> 織田が今川を破った時もそうですが最大のピンチを潜り抜けてこそ未来は開かれるんですね
そうですね。桶狭間の戦いも大軍の今川氏を倒したのですね。
奇襲作戦といったら、大坂の陣で幸村が家康さんを狙っていますが、余りにも少数攻撃だった
のでしょうね。
元就さんは、「戦国最高の知将」といわれる所以でしょうか☆
> やはり、諦めないことが後の繁栄につながるのですかね?
> 方々を想うと可能性は無限に広がり励みになります
先人は、たくさんのことを教えてくれますね^^
いつも、コメントありがとうございます!
> 織田が今川を破った時もそうですが最大のピンチを潜り抜けてこそ未来は開かれるんですね
そうですね。桶狭間の戦いも大軍の今川氏を倒したのですね。
奇襲作戦といったら、大坂の陣で幸村が家康さんを狙っていますが、余りにも少数攻撃だった
のでしょうね。
元就さんは、「戦国最高の知将」といわれる所以でしょうか☆
> やはり、諦めないことが後の繁栄につながるのですかね?
> 方々を想うと可能性は無限に広がり励みになります
先人は、たくさんのことを教えてくれますね^^