『黒田官兵衛』 その32

『官兵衛入道し、如水と号す』

秀吉は侍臣に話した内容は、自分と高く評価していると知ったら官兵衛が喜ぶであろうと考えたのでしょうか。

用心なさるがよいと忠告するつもりであったのか、あるいは、また官兵衛に凄味をきかせるために、秀吉が

侍臣を使い、官兵衛に言わせたのでしょうか。

黒田官兵衛(1546-1604年)
ku.黒田官兵衛

ともかくも、官兵衛は

「南無三!わが家の禍(わざわ)い差し迫った!」

この上は子孫に計をなすにしかずと考え、この願い出をしたのであると、古くから考えられています。

普通には、この時髪を剃り、「水ハ方円ノ器に隋フ」「身ハ褒貶毀誉(ほうへんきよ)の間ニ在リト難モ、心ハ水

ノ如ク清シ」の2つの古語から取って“如水円清”と号したということになっているます、黒田家譜には、この時

は家督を譲っただけで、隠居は許されず入道はせず、入道をしたのは、これから4年後の1593年であるとし

ています。


司馬遼太郎氏は異なる見方として、黒田如水の「如水」という号は「上善如水」という老子の言葉に典拠した

とも言っています。


また、一橋大学の同窓会に「如水会」というものがありますが、この同窓会名は、故渋沢栄一氏が韓の時代

に儒学者がまとめた「礼記」の中にある「君子交淡如水」(君子の交わりは淡きこと水の如し)により命名した

もので、如水公とは関係ないものだそうです。



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sakura 20140719



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:竹千代
長子・信康が竹千代、3男・秀忠が竹千代成、5男・信吉が万千代丸です。

≪本日の問題≫


                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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