『黒田官兵衛』 その33

『北条氏説得の第2策も失敗に』

秀吉の小田原征伐が始まると官兵衛はこの役に従事し、彼らしい大功を立てている。

坂東一の名城である小田原城は、秀吉ほどの者が天下の兵をもって攻囲してもなかなか落ちず、堅固に持ち

耐えること100日余りにおよんだ。

小田原城
od.小田原城 20100704 002

力攻めではダメと見た秀吉は、まず宇喜多秀家をもって当主・北条氏政の次男の氏房に、北条氏がもし降服す

るなら、伊豆・相模・武蔵野3ヵ国を与えようと伝えさせた。

氏房の意を動かし、氏政に伝えた。

しかし、氏政はこれを退けた。

秀吉は第2の手段を講じ、堀秀政に命じて、北条氏譜代の重臣・松田憲秀を説いて内応の約束をさせた。憲秀

はこれを承諾し、手筈を定めた後、嫡子・新六郎と次男・左馬介とを呼んでこのことを告げた。

新六郎は

「よい御思案、北条家の運命はもう見えています」

と、一議におよばず賛成したが、左馬介は

「これは父上・兄上のお言葉とも思えませね。松田家は北条家譜代の臣、しかも重臣の列にあります。下人・

小者も恥じるような汚いことをしようとはもっての外のこと」

と泣いて諌めたという。

「くちばしの黄色い分際で何を言う。その方にはわからぬことじゃ」

憲秀と新六郎は耳もかさず、左馬介を一室に閉じ込めてしまった。

左馬介は存亡この時にきわまったと焦心して、小姓に命じてひそかに鎧櫃の中に潜んで出て、氏政に訴え出

た。

氏政は驚いて、憲秀と新六郎を捕らえて押し込めたという。



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いつもありがとうございます。


sakura 20140726


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:平山城
岡崎城がある龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、本多康重から3代忠利(1600年~1645年)にわたる改修によって平城となっています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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こんにちは(*^^*)

視聴率もどんどん上がってますね
ぜひ御覧になってください(*^^*)

小田原の開城もこの松田の裏切りがきっかけになったと言われてますからね
このシーンも見てみたいですね(*´ω`*)

忠誠心だけで世渡りは無理

 こんにちは。
 北条氏は大変強大な大名でしたが、この時機になると以前の様な篭城で凌ぐという戦略では凌げません。時代が変わってしまった事に気づけなかったのが不運でした。その意味で松田憲秀の判断は正しいのですが、それが判らなかった次男はまさにくちばしが真っ黄色だったんでしょうな。忠臣は賞賛される日本ですが、それは主が有る程度有能であればこそ。ちゃんとした判断が出来ない主に対する無二の忠誠心は悲しくも滑稽です。それにしても松田さん残念。この時に生き延びていれば伊豆辺りの国持ち大名として家を残せたかもしれないのに。

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんわ~

いつもありがとうございます。
「中国大返し」みましたよ!

明智さんの最後があっけなかったですね。

小田原征伐が総仕上げですから、手を抜かないで演じて欲しい
ものですね。

miss.key さま

miss.keyさん、こんばんわ!

北条氏は齧ると面白いようですね。

ある意味、巨大になりすぎて統率が効かなくなっていたのでしょうかねぇ~。

小田原評定で総括されるように・・・。
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