征夷大将軍 『徳川家康』 その14

『家康の父、没する』

竹千代(家康)が尾張に留め置かれた期間は6歳から8歳までの満2年に渡ります。

これは信長の14~16歳までの期間にあたります。

やがて英雄に成長して行く2少年がこの期間に会ったかどうか、会ったという記録は織田側にも徳川側にも

ありません。

小豆坂古戦場の碑
az.小豆坂古戦場の碑

会ったであろうと推測するほうが、今後の信長と家康の関係に繋がりますね。

また、少年時代より両者は面識があったという小説も少なくありません。

竹千代は尾張に盗み渡された後、広忠(家康の父)には安泰な時はなかったでしょう。

先ず、その直後に今川家と織田家との間に小豆城の合戦があり駆り出さ、それが済んだかと思うと、また一族

の者が相次いで離反し、その征伐に走りまわるという状態であった。

この平定はできたが、家運は衰えるばかりであった。

その心労もあったからでしょう。病気になったと思うと次第に重症にとなり、1549年3月の始め24歳の若さで

なくなった。 (病死説:三河物語・松平記、片目弥八によって殺害された説:岡崎領主古記、一揆説:三河東

泉記)

この直後に今川家と織田家の間に、また合戦がおこり、岡崎衆は先鋒部隊として、織田方の重要な城である

安祥城を攻め、既に二、三の丸を攻め落とし本丸に篭る織田信広を自殺寸前に追いつめた。

この時、尾張では、やはり3月初め信秀(信長の父)が病死し、信長が家を相続していたので、安祥の後詰を

するたびに、自ら兵をひきいて鳴海のあたりまで来ていた。


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sakura 20140811



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:那古野城
1532年(1538年の説も)、織田信秀は今川氏豊の居城・那古野城を奪い、ここに居城を移して愛知郡に勢力を拡大しています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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