征夷大将軍 『徳川家康』 その16

『生活に困窮した竹千代』

駿府における竹千代(家康)は1千石を給されたが、竹千代に従う者は100人余りもあったので、1千石では

もちろん不足であった。

鳥居忠吉が今川家の命で岡崎奉行となり租税のことを司っていたのを幸いに、今川家の目をごまかして衣食

を貢いだので、人々はやっと命が繋げたという。

岡崎城からくり時計
ok.岡崎城 20100508 002

その他にも久松家に再縁していた竹千代の実母・お大が、時々尾張の阿古屋から使者を出して衣服や魚類

などを届けていたという。

また、お大の母、つまり外祖母の大河原氏お富は、わざわざ尾張から駿府に来て、今川家の重臣らに泣きつ

いて駿府に止まり、竹千代の面倒を見たともいう。


安部河原で行われた子供らの印地打ち(石合戦)を見物に行ったとき、竹千代が人数の少ない方が勝つと予

言して、その側についたという有名な逸話もこの頃の話です。

これは、少人数ゆえに仲間が協力し合っている点を瞬時に見抜いたからだと言われています。



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sakura 20140814



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:11年
義元の人質として駿府に送られた竹千代が再び自分の岡崎城に戻ったのは、11年後の1560年5月、桶狭間の戦いで今川義元が戦死してからです。
竹千代が岡崎に帰還したのは19歳の時でした。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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