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長久手の戦い緒戦の舞台 「岩崎城」

長久手の戦い緒戦の舞台 「岩崎城」

岩崎城は、正確な築城年代は不明ですが、尾張国勝幡城主・織田信秀(織田信長の父)の支城であったという。

1529年、三河国岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が、織田信秀の属将・荒川頼宗の守備する岩崎城を

尾張国攻略の足がかりとして兵7千を率い攻め落とした。

しかし、1535年の「森山崩れ」により清康が死去すると松平氏の勢力は岩崎城から後退し、松平氏の案内人と

して行動していた本郷城主・丹羽氏清が移り住み、4代続けて岩崎城主として戦国時代を生き抜いています。

岩崎城模擬天守
iw.岩崎城 001

1584年の岩崎城の戦いは、小牧・長久手の戦いのうち長久手の戦いの緒戦となった戦いです。

両軍の膠着状態を打ち破るため、秀吉方によって実行された「三河中入」作戦を阻止し、池田軍の進軍を止め

たという点で大きな功績を残した戦いでした。

iw.岩崎城 003

城代・丹羽氏重は岩崎城付近を通過する池田軍に気づきこれに攻撃を加える。

本来ならばいち早く岡崎城へ向かわなければならないところ、池田軍は岩崎城の攻撃を決めこれを落城させます。

この時、岩崎城には2百余名の城兵がいたが、数十倍にも及ぶ池田軍の猛攻撃にあい全滅。

その頃、小牧から丹羽氏次を先導役に追撃してきた徳川勢が羽柴勢の最後尾を行く三好隊に追いつき戦いを

開始。

戦局はこれを知り引き返してきた前部隊と追撃を続ける徳川本隊とが長久手で決戦となっています。

この戦いで池田恒興・元助親子、森長可といった羽柴方の有力な武将が戦死し、徳川・織田方の勝利に終わっ

ています。


空堀がよく残っています
iw.岩崎城 002

井戸跡
iw.岩崎城 006

隅櫓への道
iw.岩崎城 005

《三河中入》

膠着状態を打開するため羽柴方の武将池田恒興の進言で別働隊を密かに家康の本拠でもある岡崎まで進軍、

城下に放火して後方攪乱を謀る「中入(なかいり)」といわれる作戦が三好秀次(秀吉の甥・後に養子になる)を

大将として決行された。この三河へ向かう作戦ルート上に岩崎がありました。


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                                <参考文献:岩崎城ホームページ、現地案内板>
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