征夷大将軍 『徳川家康』 その30

『人質交換で竹千代(信康)帰る』

元康(家康)は国内の従わない豪族らを引き続き討って領土を広げていったが、1562年の春には上郷城の

鵜殿長持を攻めて城を陥れ、長持を討ち取り、長持の子・藤太郎、藤三郎の2人を捕虜にした。

鵜殿は今川家の近い一族なのです。

その城を攻め落とし、その人を討ち取ったのですから、氏真は怒った。

岡崎の人質どもを殺そうと息巻いたが、元康の妻は今川一門の関口親永の娘であり、義元の養女だから、

氏真にとっては義姉だし、その生んだ子・竹千代(信康)は親永にとっては孫なのです。

殺すわけにも行かず日数がたった。

駿府城石垣
su.駿府城 0005

これが岡崎に聞えた。

石川数正は憤然として

「若君が駿府で殺され給うというに、追腹切る者が一人もいないとあっては、お家の恥辱じゃ。よしよし、おれ

がお供しようわい」

と決心して、書置きを残して駿府に行き、竹千代に付き添ったが、間もなく氏真が石川数正は勇敢で忠義なだ

けでなく知恵者なのです。

鵜殿兄弟と元康の妻子とを交換する儀は如何でござろうかと、親永に申し入れた。親永が取り次ぐと、氏真は

喜んで承諾した。

思いもかけず窮通の途が開けて、数正は岡崎に馳せかえり、元康に話すと元康も喜び、ついに人質交換とい

うことになった。

「その時、石川数正は大ひげ食ひそらし、若君を頭馬(鞍の前輪)にのせ奉り、念子原(岡崎市の東方)に打ち

上げ通らせ給ふことの見事さ。何たる物見にもこれにすぎたることはあらじ」

と、大久保彦左衛門老が書き残している。

竹千代、この時、数え年の3歳であった。


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pig 20141001



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:信長の姫と家康の子息が結婚した
1567年に信長の娘五徳姫と家康嫡男松平信康との婚姻が成立しています。
このことが後に大変な事件を巻き起こしますので、記事で紹介したいと思います。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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こんばんは(*^^*)

のちの数正からは考えられない忠臣ぶりですね(^_^;)

やはり、蔑ろにしてたのでしょうか?

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんわ~

数正は忠義の人なのに、なぜ出奔したのでしょうね。
理由がわからないから、徳川家の謀という説もありますが、
この辺がいちばん落ち着きがいいのかも知れませんね。

数正さんは、松本城で楽しまさせてくれています♪
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