『黒田官兵衛』 その43
『この世にいて古人のふるまいをなす』
関ヶ原の戦いがあった暮れに、如水は家康の命によって大坂に上り家康に会った。
黒田官兵衛(1546-1604年)

家康は関ヶ原における長政の働きぶりを誉めたり、九州路における如水の合戦ぶりを聞いたりして
「この度の勝利、ひとえにおことらの父子の働きによる。甲斐守(長政)にはすでに筑前をまいらせたが、おこと
には別に上方で領地を進ぜよう。いずれなりとも望まれるよう。また官位も進めるよう朝廷に執奏したい」
と言うと、如水は
「身にあまる御定でござるが、老年といい、また多病でござる。すでに愚息に大国を賜りました以上、拙者には
もう官録の望みはござらぬ。この上は長政の養いを受けて、余生を安らかに送りたいと存ずる。願ところは身の
暇をいただきたいだけでござる」
と言ったので、家康は
「この世にいて古人のふるまいをなすとは、そなたのことじゃな」
と感嘆したという。
あざやかな転身ぶりです。
もっとも、この話には異説があり、武功雑記では
家康がいっこうに如水に恩賞をしようとしないので、井伊直政と藤堂高虎らが如水に同情して、家康に運動する
と、家康は笑って
「如水が働きは底心知れぬことなれば、長政にのみ恩賞してよきぞ」
と言ったという。
しかし、前述の方は、黒田家に伝える書物にあるだけでなく、徳川家で訂正加筆編集した「改正三河風土記」に
もあるので、こちらがいいですね。
また、見切りと変り身の素早い如水の風格が出ている点でも、前者の方がいいです。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:高山城
金森長近は関ヶ原の戦いでは可重とともに東軍に与し、戦後、飛騨に加え美濃郡上八幡城攻めなどの功を賞されて2万石を加増、徳川家康より飛騨守に推挙され初代高山藩主となっています。
≪本日の問題≫
<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
関ヶ原の戦いがあった暮れに、如水は家康の命によって大坂に上り家康に会った。
黒田官兵衛(1546-1604年)

家康は関ヶ原における長政の働きぶりを誉めたり、九州路における如水の合戦ぶりを聞いたりして
「この度の勝利、ひとえにおことらの父子の働きによる。甲斐守(長政)にはすでに筑前をまいらせたが、おこと
には別に上方で領地を進ぜよう。いずれなりとも望まれるよう。また官位も進めるよう朝廷に執奏したい」
と言うと、如水は
「身にあまる御定でござるが、老年といい、また多病でござる。すでに愚息に大国を賜りました以上、拙者には
もう官録の望みはござらぬ。この上は長政の養いを受けて、余生を安らかに送りたいと存ずる。願ところは身の
暇をいただきたいだけでござる」
と言ったので、家康は
「この世にいて古人のふるまいをなすとは、そなたのことじゃな」
と感嘆したという。
あざやかな転身ぶりです。
もっとも、この話には異説があり、武功雑記では
家康がいっこうに如水に恩賞をしようとしないので、井伊直政と藤堂高虎らが如水に同情して、家康に運動する
と、家康は笑って
「如水が働きは底心知れぬことなれば、長政にのみ恩賞してよきぞ」
と言ったという。
しかし、前述の方は、黒田家に伝える書物にあるだけでなく、徳川家で訂正加筆編集した「改正三河風土記」に
もあるので、こちらがいいですね。
また、見切りと変り身の素早い如水の風格が出ている点でも、前者の方がいいです。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:高山城
金森長近は関ヶ原の戦いでは可重とともに東軍に与し、戦後、飛騨に加え美濃郡上八幡城攻めなどの功を賞されて2万石を加増、徳川家康より飛騨守に推挙され初代高山藩主となっています。
≪本日の問題≫
<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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保身♪
おはよーぃ(*´∀`)ノ
決して…二日酔いではないぞぉーぃ(笑)
『狡兎死して走狗烹らる』
故人のふるまいとは…越に仕えた范蠡…
漢の功臣、張良の身の処し方を指してるのかな(*´∀`)?
家康公も古典に通じた人物なので…
内心はともかく…わかりやすいかたちで無欲アピールで…
黒田家の安泰を図ったのでしょうね♪
決して…二日酔いではないぞぉーぃ(笑)
『狡兎死して走狗烹らる』
故人のふるまいとは…越に仕えた范蠡…
漢の功臣、張良の身の処し方を指してるのかな(*´∀`)?
家康公も古典に通じた人物なので…
内心はともかく…わかりやすいかたちで無欲アピールで…
黒田家の安泰を図ったのでしょうね♪
Soive さま
Soiveさん、こんにちわぁーーい(^O^)/
> 決して…二日酔いではないぞぉーぃ(笑)
おお~、元気にしているね~^д^
今日は、増上寺にいってえらい目にあって帰ってきたよー`・ω・´
> 故人のふるまいとは…越に仕えた范蠡…
> 漢の功臣、張良の身の処し方を指してるのかな(*´∀`)?
陸賈みたいなところかも知れないね。
> 家康公も古典に通じた人物なので…
> 内心はともかく…わかりやすいかたちで無欲アピールで…
> 黒田家の安泰を図ったのでしょうね♪
戦国時代のの身の振り方知り尽くしていたのだよね。
彼の晩年の過ごし方は、やりたいことは全てやったという
境地になれていることが、素晴らしいと思う。
秀吉さんや家康さんより、充実した人生であったような気が
する。
そうありたいですね^^
> 決して…二日酔いではないぞぉーぃ(笑)
おお~、元気にしているね~^д^
今日は、増上寺にいってえらい目にあって帰ってきたよー`・ω・´
> 故人のふるまいとは…越に仕えた范蠡…
> 漢の功臣、張良の身の処し方を指してるのかな(*´∀`)?
陸賈みたいなところかも知れないね。
> 家康公も古典に通じた人物なので…
> 内心はともかく…わかりやすいかたちで無欲アピールで…
> 黒田家の安泰を図ったのでしょうね♪
戦国時代のの身の振り方知り尽くしていたのだよね。
彼の晩年の過ごし方は、やりたいことは全てやったという
境地になれていることが、素晴らしいと思う。
秀吉さんや家康さんより、充実した人生であったような気が
する。
そうありたいですね^^