服部半蔵の墓参り

『 二代目服部半蔵は忍者ではなかった 』

先日、四ツ谷に仕事で行きましたので、服部半蔵の墓参りして帰りました。

この半蔵さんで有名な話は

1582年、信長の招きで家康が少数の供のみを連れて上方を旅行中に本能寺の変が起こり、このとき堺

に滞在していた家康が甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し先祖の出自が伊賀

である半蔵は商人・茶屋四郎次郎清延とともに伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し彼らに警護させて一行を

安全に通行させ伊勢から船で三河の岡崎まで護衛したという話は有名ですね。

2代目服部半蔵の墓がある「西念寺」
ha.服部半蔵 001

服部半蔵は最も名の知れた伊賀忍者のひとりとなっていますが、この服部半蔵正成は忍者でなかったこと

をご存知でしょうか。

彼は、初代服部半蔵保長の4男として三河国に生まれ、「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の2代目

当主なのです。

服部半蔵正成田(1542-1596年)
ha.服部半蔵正成

服部半蔵正成の墓
ha.服部半蔵 002

1590年の小田原征伐で家康に従軍し、その功により家康の関東入国後、与力30騎および伊賀同心200

人を付属され同心給とあわせて8千石を領しています。

自身は武将でしたが、父親が伊賀出身であった縁から徳川家に召し抱えられた伊賀忍者を統率する立場で

あったそうです。

この先に江戸城の半蔵門がありますが、半蔵の屋敷が門前にあったことから名づけられたそうです。 

ha.服部半蔵 003

(半蔵門の記事は「こちら」です。)







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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:三成は徳川家に大功を立てた
関ヶ原の後、家康は三成の嫡男・重家の処遇に悩まされたという。
本多正信に相談したら、正信は「親父の三成は我が徳川家に大功を立てましたから、それを考慮すべきでしょう」と言った。
家康が「大功とは何か?」と尋ねると、「三成は無用の戦を起こし、そのおかげで日ノ本60余州は全て徳川家に服すことになったのです」と答えた。
家康は「わかった。正信の言うことには一理ある」と答えて重家を赦免したという。

≪本日の問題≫

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かわいいです

こんにちは。いつもお世話になっております。

はっはっはっとすりゃ、すったたのたー♪
ハットリ○○只今参上♪

・・・古いなぁ。服部半蔵って、忍者の印象。そういえば、時代劇か漫画で、おとーちゃんの横で眉間に皺寄せる息子がいましたが、あれが半蔵くんだったのかなぁ。

sakuraちゃん、美人さんです。お茶目な模様がかわいいですよー。もふもふー♪

つねまる さま

つねまるさん、こんにちは。

まいど、ありがとうございます。
それに、sakuraを褒めていただきありがとうございます♪
でもですね。
彼女の思考回路はちょっと違っていて、行動がまったくよめないのです´д`

忍者といったら、ハットリくんかな。
女子の場合は、ハットリ君は読んでいないかな^^
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