征夷大将軍 『徳川家康』 その39

『松平から徳川へ改姓』

一向一揆が終わった後、家康は馬を東三河に出し、しきりに今川方の諸城を陥れ、ついには吉田城を攻略

した。

吉田は東三河における今川家の拠点ですから、これで東三河も完全に家康の手に帰し、すでに西三河は彼

の手中にあったのですから、三河全土を手に入れたのです。

これが1564年6月、家康23歳のときでした。

三方ヶ原の戦いで敗戦した家康(1537年)
to.徳川家康 02

以後、1582年に織田信長が本能寺で没するまでの18年間に、家康は武田信玄とともに今川家を滅ぼして

その土地を分割し、信長に助勢して江州姉川で浅井・朝倉軍を撃破し、三方ヶ原で武田信玄に大敗するも、

その後、信長と連合して武田勝頼を長篠で撃破し、天目山に追いつめて自害させ、武田氏を滅ぼす。


これらの戦については、これまでの記事の「戦国時代 お江」、「戦国武将 武田信玄」、「戦国武将 武田勝頼」

を参照して頂ければと思います。


さらに、その後のことについては「戦国武将 前田利家」や「戦国武将 石田三成」の記事を参照願います。

ここでは、松平から徳川への改姓について、記してみたいと思います。

松平家は元来、この土地に尊崇されて加茂明神の氏子で、加茂氏を名乗っています。

加茂明神の神紋である葵を定紋としているのもこの理由であって、家康の時代になっても本性は加茂朝臣

と名乗っていたが、その勢力が増大して三河・遠江の太守になると庄屋時代からの姓はふさわしくなく、日本

の武門武士の棟梁として何百年の間、半神的英雄視されている八幡太郎家の末裔とした方がふさわしと思

うようになり、清和源氏を姓とし、徳川を氏としたのだと思われます。

家康は改姓にあたって、将軍足利義昭を通じて朝廷に奏請し、勅許を受けています。

1569年12月9日、家康28歳のときであった。


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sakura 20141023-1


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:織田信秀
小豆坂の戦いは、岡崎城に近い小豆坂(岡崎市)で行われた三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で1542年と1548の2度にわたって繰り広げられています。
発端は松平氏家中の家督相続をめぐる対立でしたが、これに領地拡大を図る織田氏と今川氏が介入し、事実上、松平清康の死後勢力の衰えた松平氏に代わる西三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元との戦いでした。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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非公開コメント

こんばんは(*^^*)

徳川より松平のほうが好きですけどね
(*´ω`*)

川の字を使うのは今川から取ってたりして(笑)

たけぞう さま

たけぞうさん、こんばんわ~

> 川の字を使うのは今川から取ってたりして(笑)

たけぞうさん、さすがです!

ほぼそのとおりではないのでしょうか☆
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