『黒田官兵衛』 その45
『やくたいもない!』
山名禅高の忠告は、家康の忠告であると、それと気づかない如水ではない。
黒田官兵衛(1546-1604年)

如水は言った。
「お聞きあれ、禅高。拙者に内府公を攻め滅ぼして、天下を取ろうとの所存があったならば、いと易きことで
ござったのだ。拙者は九州を打ち平げ、残るところは島津たけござったが、これとてどうしても盾つくならば、
攻め破るも難しいことではござらなんだ。その頃、中国路は備前・播磨まで大名ども皆こちらに来ていて空
国でござった。拙者が2万余りの兵を率い、加藤・鍋島らを両先鋒として海陸2千より押しのぼり、道すがら
浪人どもをかり集めてまいったなら、当地に着くころには10万余りの勢にはなっていたでござろう。清正は
猛将でござる。拙者の軍配のもとに戦うならば、内府(家康)公を討ち滅ぼさんこと易々たるもの、と思いも
したのでござるが、老人のせんなきことと思い、折角打ち従えた国々を捨てて、こうして上がって来たのでご
ざる。それを臆病者どもがあらぬ妄想をかいて恐れているのを、貴殿はまことと考えているのか、少しは魂
あって、分別がつく者ならば、さようなことを信ずる筈はござらぬ。やくたいもない!」
扇子で畳をたたきながら、居丈高になって、はばかる色もなく大言した。
これは禅高に言ったのではなく、家康の猜疑に対する痛烈なあてつけであり、おのれの不運に対する嘆きの
言葉だったのです。
禅高は有名な臆病人です。
若い頃、まだ豊国といっていたころ、その臆病のために家来ども居城・鳥取から追い出されという経歴がある。
驚き恐れ、顔色を失って立ち去ったという。
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:恐怖のあまり脱糞した
三方ヶ原の戦いで敗走中の家康は、恐怖のあまり脱糞し、浜松城に入城したという。
家臣から脱糞を指摘されると「これは味噌だ」と家臣に言い放ったという逸話がよく知られていますが、出典となる史料が判明していません。
≪本日の問題≫
<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
山名禅高の忠告は、家康の忠告であると、それと気づかない如水ではない。
黒田官兵衛(1546-1604年)

如水は言った。
「お聞きあれ、禅高。拙者に内府公を攻め滅ぼして、天下を取ろうとの所存があったならば、いと易きことで
ござったのだ。拙者は九州を打ち平げ、残るところは島津たけござったが、これとてどうしても盾つくならば、
攻め破るも難しいことではござらなんだ。その頃、中国路は備前・播磨まで大名ども皆こちらに来ていて空
国でござった。拙者が2万余りの兵を率い、加藤・鍋島らを両先鋒として海陸2千より押しのぼり、道すがら
浪人どもをかり集めてまいったなら、当地に着くころには10万余りの勢にはなっていたでござろう。清正は
猛将でござる。拙者の軍配のもとに戦うならば、内府(家康)公を討ち滅ぼさんこと易々たるもの、と思いも
したのでござるが、老人のせんなきことと思い、折角打ち従えた国々を捨てて、こうして上がって来たのでご
ざる。それを臆病者どもがあらぬ妄想をかいて恐れているのを、貴殿はまことと考えているのか、少しは魂
あって、分別がつく者ならば、さようなことを信ずる筈はござらぬ。やくたいもない!」
扇子で畳をたたきながら、居丈高になって、はばかる色もなく大言した。
これは禅高に言ったのではなく、家康の猜疑に対する痛烈なあてつけであり、おのれの不運に対する嘆きの
言葉だったのです。
禅高は有名な臆病人です。
若い頃、まだ豊国といっていたころ、その臆病のために家来ども居城・鳥取から追い出されという経歴がある。
驚き恐れ、顔色を失って立ち去ったという。
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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:恐怖のあまり脱糞した
三方ヶ原の戦いで敗走中の家康は、恐怖のあまり脱糞し、浜松城に入城したという。
家臣から脱糞を指摘されると「これは味噌だ」と家臣に言い放ったという逸話がよく知られていますが、出典となる史料が判明していません。
≪本日の問題≫
<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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コメントの投稿
今年の冬は
こんにちは。いつもお世話になっております。
岡田官兵衛にぜひ、やくたいもないっと言っていただきたいものですねぇ。
今日は立花宗茂さん話を半分くらい拝読しました。いつの年代の彼を見ても、安心の安定感。いいですねぇ。
今年の冬は、もふもふぴょんぴょんの画像であったまりますかー。
岡田官兵衛にぜひ、やくたいもないっと言っていただきたいものですねぇ。
今日は立花宗茂さん話を半分くらい拝読しました。いつの年代の彼を見ても、安心の安定感。いいですねぇ。
今年の冬は、もふもふぴょんぴょんの画像であったまりますかー。
つねまる さま
つねまるさん、今宵もありがとう!
なるほど、なるほど、大河は軽くながしています○゚ε゚○
> 今日は立花宗茂さん話を半分くらい拝読しました。いつの年代の彼を見ても、安心の安定感。いいですねぇ。
ありがとうございます!
宗茂さんには、男惚れしている感があります。
こんな人を養子にもらった立花道雪さんは幸せ者でしたよね。
岩屋城の戦いで、自決した父・高橋招運は涙なしては語れませんけど・・・。
エーン、エン→ܫ←
> 今年の冬は、もふもふぴょんぴょんの画像であったまりますかー。
旅うさぎですから、送りましょうか(^-^)
彼は、名古屋生まれで生後2週間でトラックの助手席に乗って東京まで
やってきました。
その時の弁当はニンジンのヘタだけが入っていました´∀`
なるほど、なるほど、大河は軽くながしています○゚ε゚○
> 今日は立花宗茂さん話を半分くらい拝読しました。いつの年代の彼を見ても、安心の安定感。いいですねぇ。
ありがとうございます!
宗茂さんには、男惚れしている感があります。
こんな人を養子にもらった立花道雪さんは幸せ者でしたよね。
岩屋城の戦いで、自決した父・高橋招運は涙なしては語れませんけど・・・。
エーン、エン→ܫ←
> 今年の冬は、もふもふぴょんぴょんの画像であったまりますかー。
旅うさぎですから、送りましょうか(^-^)
彼は、名古屋生まれで生後2週間でトラックの助手席に乗って東京まで
やってきました。
その時の弁当はニンジンのヘタだけが入っていました´∀`