我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿助」 その1

山中鹿助は、山中幸盛の通称で正しくは「山中鹿介幸盛」です。

優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を持ち、尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

と三日月に祈った逸話は有名です。

今回は、この山中鹿助をとりあげてみたいと思います。

ya.山中鹿介 001

『尼子清定は暴悪な守護代であった』

出雲の尼子氏は近江源氏佐々木氏から出ています。

南北朝の時代、最も有名であった佐々木道誉の孫に備前守高久という者がいて、近江犬山郡尼子郷に住ん

でいたので、尼子を名字にしたという。

元来、出雲は鎌倉時代の初期から佐々木氏の管国で、代々佐々木氏が守護であったが、足利時代中期にな

って山名氏の勢力が大きくなり、一時その管国とる。

しかし、応仁の乱(1467年)後、また佐々木(京極)氏の管国となっています。

佐々木氏は高久の次男・上野介持久を守護代として出雲につかわし、月山富田城(安来市広瀬町)にてこれ

を治めさせた。

この持久が出雲尼子氏の始祖です。

持久の子は清定。

これは出来の悪い殿様で、領民に対して暴悪であったばかりでなく、本家である佐々木氏にも不従順であった。

元来、守護代というのは、代理人、いわば管理人なのです。

管理を任された所領の租税は領主に送らなければならないが、清定はこれを全部横領して近江に送らない。

京極家では腹を立てたり、なだめたり、すかしたりしたが清定はガンとして応じない。

「その儀ならば目にものを見せてくれる!」

と、ついに大軍を差し向けたのです。

清定は頑強に抗戦したが、なにせ人望のない男です。兵の力もいなくなり、自分も逃亡してしまった。

晩年の記録は少ないですが、『雲陽軍実記』には「牢人の身となり、漂泊流浪のうちに病死す」となっている。



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pig 20141119



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫(11月16日の問題)
正解:キリシタンであった
如水の死後、博多の教会の宣教師たちは如水の遺骸を、博多の町の郊外にあって、キリシタンの墓地に隣接している松林に埋葬しています。
如水の異母弟で熱心なキリシタンであった黒田直之が十字架を掲げて参列したという。
また、長政は、その後に仏式の葬儀もおこなっています。

≪本日の問題≫


                                        <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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今ねー♪

こんばんわぁー(*´∀`)ノ

今年の上半期は…太平記にハマったせいか…
佐々木道誉とか書いてあるとワクワクしちゃいます(笑)

その時代の人物や歴史も楽しめますが、
室町から戦国へのつながりや、家系のつながりを見るとロマンを感じますね♪

この先も楽しみにしてますね(σ・∀・)σ

Soive さま

Soiveさん、こんばんわぁーい♪

太平記やっていたのですか。
テレビはありますが、スイッチが壊れているかも・・・ ͒˃⌂˂

> 室町から戦国へのつながりや、家系のつながりを見るとロマンを感じますね♪

戦国初期は下克上の時代ですから、主人や親兄弟関係なく戦った
のでしょうね^^

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