我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その7

『鹿介の誕生』

鹿介は1545年8月15日に富田城下で生まれた。

父は三河守満幸、母は立原佐渡守綱重の娘。

山中家は雲州尼子家の2代目清定の弟・幸久の末です。

富田城
ga,月山富田城 000

幸久は安芸山中家に伝える山中系図では

「故あって兄の旨にさからい、出雲布部山に幽せらる」とあり、丸亀の山中家に伝える系図には「兄・清定の

勘気をこうむり、自ら雲州布部山に蟄居す。実は兄を討たんと謀り、発覚する故なり」

とあります。

尼子清定は前に書いたとおりの暴君的殿様で、一時的に尼子家を滅亡させたような人物です。

兄のやり方がついには家を危うくするものであると考え、これを除こうとしたのでしょう。

幸久から4世して鹿助の父・満幸に至りますが、その間、山中一族はかなり広がっていたのでしょう。

前に書いた流浪の尼子経久を助けて奇策をもって富田城を回復した山中勘兵衛勝重は、その一族が17人

もいたというから、鹿助の先祖もこの17人の中のひとりだったのでしょう。

鹿介は次男であった。

幼名・甚次郎。兄は勘太郎といった。

年はいくつ違っていたのでしょうか。

甚次郎が生まれた時の父の年が26歳というから、せいぜい3つ4つぐらいなのでしょう。

山中家は重臣というほどの家ではなく、家禄もそう多くはなかったうえに、甚次郎が生まれた翌年には父・満幸

が死んでいますので暮らしは苦しかったという。


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pig 20141204
ゴマくんのママさんに付け直して貰ってます。


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:大内義隆
1528年に大内義興が死去すると嫡子・大内義隆が家督を継いでいます。
この時代は周防をはじめ、長門・石見・安芸・備後・豊前・筑前を領するなど、西国随一の戦国大名となり、大内家は全盛期を迎えています。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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pigletもやっと元服してくれました^^

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