我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その8

『鹿助の母は賢母』

山中鹿介の母・立原氏はなかなかの賢夫人で、名将言行禄にこんな話が記録してあります。

早く父を失った鹿介の家は極めて貧しかったので、母は麻を植え、それを布に織って茜の裏をつけた布子を

多数こしらえて、鹿介にはいつも新しいそれを着せ、自分はつぎはぎの着物を着ていたといいます。

山中鹿介(1545-1578年)
ya.山中鹿助 002

尼子家には近習の者としていつも300人ばかりの少年がいたが、これらは、みんな2、3男でいずれも貧しい

子たちであった。

彼らが鹿介の家に遊びに来ると、母は着物を与えるとはいわず、それとなく、かねて用意の新しい布子と着替

えさせた。

また、時々、鹿介の友人らを5人・10人と家に集めて、泊まらせ、朝夕の食事を供したりしたので、いつか鹿助

の子分のようになり、戦場に出ると、「山中が手の者なにがし」と名のるようになって、鹿介の武名は次第に高く

なった。

母は、またいつも鹿介に

「そなたに従う人々を、敵に夜討ちなどかけられ味方敗軍の時などに捨て殺しにするようなことがあってはなりま

せんぞ。また勝軍の時には、手柄をひとりじめにするようなことをしてはなりませんぞ。苦楽ともに人々と同じよう

になされよ。」

と教えた。

鹿介はその教訓を守って、いつも教えに従ったので、朋輩らは頼もしき人と、益々慕いよったという。

賢母ぶりが判る話です。



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いつもありがとうございます。


最後は、ゴマくんのママさんに抱っこして頂き、大満足のpigletです。
pig 20141124


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:堀尾氏が松江城に移ったため
1600年に堀尾氏が月山富田城主になりますが、1611年に堀尾忠晴が松江城に移り廃城となっています。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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非公開コメント

こんにちは♪

鹿助の母は賢母 とても心に残る良いお話でした。
歴史上の人々にあった背景のお話を知るのがとても興味深いです。
そこで起きた事柄だけでなく、その人の人柄の感じることで親近感を
感じさせてくれます。

今日もありがとうございました(^-^)

賢母ですねぇ

こんにちは。いつもお世話になっております。

しかのすけ母がいなければ熱血漢の七転八倒、いや、七転び八起きは後世に残らなかったですね。なるほど。衣食住はポイントですねぇ。

とびきり甘えん坊のpiglet君、幸せで何よりです。ヅラが暖かい帽子に見えますわ。ほこほこ。

ハーモニー さま

ハーモニーさん、こんにちは。

いつもありがとうございます♪
人格者は、やはり人が育てるものなんですね。
昔も今も、、

歴史に名を残すほどの人を育てる母は、また賢母の下に
育ったのでしょうね。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわ~

> しかのすけ母がいなければ熱血漢の七転八倒、いや、七転び八起きは後世に残らなかったですね。なるほど。衣食住はポイントですねぇ。

鹿助さんは、本当に七転八倒な人ですよね。
この熱血漢はどこからくるのでしょう。

毛利氏に討たれるのがかわいそうです。


> とびきり甘えん坊のpiglet君、幸せで何よりです。ヅラが暖かい帽子に見えますわ。ほこほこ。

男祭りが大好きなpigletですから、来週も開催されるようですから
行ってみたいと思っています^^
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