我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その9

『幼少にして人を斬る』

甚次郎(鹿助)もまた戦国武士の子としては理想的な素質を持っていた。

「生まれて数か月にして、4、5歳の子供のようで、2、3歳になると勇知群を越えた」

という。

毛利元就(1497-1571年)
mo.毛利輝元 001

山中鹿介伝には「8歳にして人を斬った」と、あるそうです。

どういう理由で、どういう人を斬ったのか記されていないが、幼年にして人を斬り殺したことが美談になるとは、

現代人には納得いかないところですが、武勇を武士の第一の資格とする戦国の時代です。

この時代では、肝太くして勇気たくましく、あっぱれよき武士となるべき素質であると賞賛されたのです。

甚次郎が10歳の時、1554年11月1日に尼子家に悲惨なことが起ることになります。

尼子家の大敵であった大内氏はこの3年前に家老の陶晴賢に滅ぼされたが、尼子家は毛利家から蚕が桑を

食うように領地を奪われて勢いは益々衰えていた。

しかし、新宮党のお蔭でなんとか維持ができていた。

「あれをどうにかせぬ限り、息の根を止めることはできぬ」

と、思案した毛利元就は一策を案じだした。

元来、尼子経久の妻は毛利家の外戚である吉川家から来た人で、国久はその所生なのです。

また、元就の妻も吉川家から来た人で、つまり姻戚の関係だったのです。

元就が謀略の道具に使ったのが、この関係だったのです。


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pig 20141209


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫ (12月6日の問題)
正解:8歳
鹿助は年少の頃より尼子氏に仕え、8歳のとき敵を討ち、10歳の頃から弓馬や軍法に執心し、13歳のとき敵の首を捕って手柄を立てています。

≪本日の問題≫


                                  <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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