我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その20

『富田城の開城』

「朋輩を眼前に討たれて見捨ててはかえられず」

と、益田方がドッと押し出して来たので、尼子方でも応戦して相当激しい戦いの末、益田方を撃退した。

毛利方の兵糧攻めに、尼子方の窮迫は日々深刻となり、士気は衰え敵に降伏する者が相次いだ。

月山富田城山中御殿跡
ga.月山富田城 011

「尼子家の大身の侍どもは、ことごとく降参して今は13人の家老の中には、河副美作守、森脇市正だけが残り

て、その外はみな近習の輩なり」(陰徳太平記)

最期は、わずか300人余りになったというのです。

ついに1566年11月21日、富田城を開城します。

尼子義久は毛利陣に遣わして降伏を申し入れ、自らは切腹したいと申し出た。

毛利元就は、降伏は許したが切腹は許さず、倫久・秀久の両弟とともに富田城を出て芸州に来らるべしと答え

た。

28日、義久兄弟は城を明け渡して、毛利陣に出頭し芸州に連行された。

この時、鹿介や立原源太兵衛ら69人は、先途を見届けたいと望んで杵築(出雲)の港までついて行き、ここで

饗応してなごりを惜しんだという。

この69人の名前を陰徳太平記には列挙しています。



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いつもありがとうございます。


sakura 20141226



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:8カ国
月山富田城を落とした毛利元就は一代にして、中国地方8ヶ国(安芸・備後(広島県)、周防・長門(山口県)、石見・出雲(島根県)、因幡・伯耆(鳥取県))を支配する大大名にのし上がっています。



                                     <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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どどどーっ

こんばんは。いつもお世話になっております。
日本海側では鹿くんと尼子様が頑張っているのですねー。老獪な毛利さんの陣営はどんなおもてなしをしてくれたのでしょうか。

サンタさん、今度は請求書多数を靴下に入れてくれました。来年は三羽のぴょんぴょんずをプレゼントしてくれるようにお祈りします。

つねまる さま

つねまるさーん、こんばんわー

老獪な元就さんと武勇の息子がいますから、何をやっても鹿くんは子供みたい
なものですね。

毛利さんは松葉カニが欲しくて出雲を攻めたのではと思えてなりません。
これからの時期、美味しいですからね!

> サンタさん、今度は請求書多数を靴下に入れてくれました。来年は三羽のぴょんぴょんずをプレゼントしてくれるようにお祈りします。

あらら、紙は札束でなくて請求書とは“ドヒャー”ですね。
はい、ぴょんぴょんは暖かいので添い寝できるし、鳴かないので会社にも連れていけますよ♪
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