我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その31

『隠岐為清の謀叛』

伯耆大山は天台宗の寺ですが、山伏の道場でもあり、ここの衆徒は南北朝の頃から武勇を持っており、御醍醐

天皇が隠岐から脱出して本土に帰られた時、馳せ参じて忠勤を申し出、建武中興の基をつくっているという歴史

もあり、この地方ではなかなか勢力があった。

これが味方するというのです。

現存の松江城 (松江城登城記は「こちら」です。)
松江城 004

鹿介も立原源太兵衛も勇み立った。

「さらば伯耆へ越えよう」

と、所々に城に分散しておいた軍勢を末次城(後の松江城)に集結させ、出動の準備をしているところに、中の海

を越えた対岸の米子の浜辺に天を焼くような煙が立ち上るのを鹿介は見えた。

「定めてこれは敵が押し寄せ民家を焼打ちにしているのであろうが、幸い美保の関には隠岐為清がいる。手痛く

防戦するであろう。加勢せねばならぬが、先ず様子を見てまいれ」

と物見の者を遣わすと、間もなく馳せかえってきた。

思いもかけない報告であった。

「その為清の謀叛である」

という。

どうした理由での反逆かわからないが猶予はできない。

すぐ攻撃に出ることにしたが、敵の不意に出て夜間海上から攻めたてるがよいとて、舟を探したが、その舟がな

い。

やっと小舟を8隻見つけ出し、しかたないので大部分の兵はそこに残して、鹿介・立原・横道ら4百余人だけが分

乗して、美保関に向かった。

しかし、無時に目的地に達したのは半分しかなく、後の半分は浅瀬に乗り上げてはるかに遅れた。

このことが不運にもなれば、幸運にもなった。



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いつもありがとうございます。


pig 20150115



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:300
原手合戦では毛利軍の第一陣、第二陣は大崩れとなり、第三陣にいた小田助右衛門が奮戦するも、当初傍観していた米原綱寛らの軍が加勢したため、毛利軍は総崩れとなり敗北した。
小田助右衛門は討ち取られ、毛利軍は残った兵は300となって赤穴へ落ちのびています。



                                          <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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対岸てー

おはようございます。いつもお世話になっております。
松江から見たら、米子は対岸なのかぁ。なるほど。
鹿くん、甘いなぁ。ついてきて当たり前♪って思い込みが、スケールは違えど三成と同じような気がします。
友達ならいいけど、上司はやだなぁ。

piglet01くん、お手手で積むのかしら?それとも、蹴飛ばす?

つねまる さま

つねまるさん、こんにちは♪

> 松江から見たら、米子は対岸なのかぁ。なるほど。

芦屋の人は堺を見て対岸と言うのでしょうか。
対岸といったら、せめて関空って感じですね!

> 鹿くん、甘いなぁ。ついてきて当たり前♪って思い込みが、スケールは違えど三成と同じような気がします。
> 友達ならいいけど、上司はやだなぁ。

でしょう!
鹿くんのこと、前から三成と重ねてみていました。
さらに尼子家復興の動機も三成に近いものがあるのではないかと・・・。

> piglet01くん、お手手で積むのかしら?それとも、蹴飛ばす?

手はネコさんみたいに使えないですよー˃⌂˂ 顔を洗うくらいです。
蹴飛ばすのは、口に咥えて振り回して飛ばしています^^

うさぎの知能は、2~3歳の子の知能程度だそうですよ。
ですから、人間の言葉は殆ど理解しています。
ハウスでケージに戻るし、怒られるとションボリした顔をします☆

一家に1羽いかがでしょうか。 発声はないのでマンションでもOKですよ!
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