我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その33

『三保関合戦の終結』

三保関の合戦の様子を聞いて、尼子勝久は横道秀綱らを賞したが感状は与えなかった。鹿介や立原に気兼

ねをしたのです。

山中鹿助(1545-1578年)
ya.山中鹿助 002

これを聞くと鹿介は勝久の前に出て

「賞罰は明らかならざれば、将士の励みになり申さぬ。早々に彼らに感状を出し、褒美を与えられたし。われら

合戦に打ち敗け、山中に逃げ入りましたこと、勝敗は兵家の常と存ずれば少しも辱とは存ぜず、一旦は敗れて

も最後に大功をなしとげた英雄豪傑は、古今に少なくござらぬ」

と言って、自ら感状を書いて勝久の花押(かおう)を乞うて、横道らに与えた。

人々は

「さすがに鹿介の器量は抜群である。勝久の羽翼となって尼子家中興の業を補佐している人物ほどある」

と、皆は褒めたという。

なぜ隠岐為清が謀叛を起こしたかの原因ははっきり判りません。

三保関合戦の少し前、勝久に隠岐国を賜えと所望したところ、勝久が隠岐は為清の一族三郎五郎にやること

になっている故できないと言ったので、これを怒ってのことであったのだという。

それはこの後、為清が出雲に来て、このことを述べて詫びを言ったのでわかるという。

また、為清はこの時

「大根島に放たれる者どもを助命して拙者に賜わるなら、以前のようにお味方にまいり、忠勤をはげみ申すべ

し」

と乞うた。

鹿介は勝久に披露して、大根島の捕虜らの命を助けて隠岐に送り返したが、為清は三保関で切腹させた。



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いつもありがとうございます。



sakura 20150120



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:布部山の戦い
尼子軍は、布部山に山中幸盛を大将とする総勢7千の兵を布陣し、毛利軍を待ち構える。
毛利軍は吉川元春・小早川隆景らが出陣し、当初、地の利に勝る尼子軍が優勢であったが、吉川元春が別働隊を率いて間道から布部山の頂上に登り、そこから尼子軍の本陣を強襲したため、尼子勢は総崩れとなり敗北。尼子軍は本拠地真山城へと撤兵しています。



                                       <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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雪焼け…

こんばんは。いつもお世話になっております。
「ハンコください」。それはまるで居眠りしている時を狙って上司の席に行くOLの如し。
今は静かな三保関でも合戦の場になっていたのですね。海鮮丼のうまい店に鹿くんは行ったのでしょうか?
隠岐国には隠岐さん。秀吉と徳川時代に散々シャッフルされたのでわからなくなりましたが、代々の土地を死守出来た人をピックアップしてみたいです。

雪焼けしても美人さんよー。

つねまる さま

つねまるさーん、おばんですばーい♪

OLさんは不細工な野郎さんに比べると、賢いよねー☆
鹿くんは松葉ガニに目がなかったかも知れないね。
海鮮丼はカレーの如く、飲み込んだかも知れないですよー♪

> 隠岐国には隠岐さん。秀吉と徳川時代に散々シャッフルされたのでわからなくなりましたが、代々の土地を死守出来た人をピックアップしてみたいです。

そう、隠岐は面白いと思う。
1300年代は配流地ですから、公家の流れが多いとかです。
それに、鹿くんの子孫は江戸時代の大富豪なんですね。ビックリした!
大坂の豪商・鴻池財閥なんですって。

> 雪焼けしても美人さんよー。
ありがとう! つねまるおねーさんは優しいひとです!!1
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