我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その40

『武田氏討伐』

尾高を脱出した鹿介は丹後に出たが、軍資金調達のために諸浪人を駆り集めて海賊となり、近国の海辺の

村々を剽掠(ひょうりゃく)していたが、やがて因幡に移り日比屋に居を定めて、なお海賊働きを続け、さらに

浦富の桐山の古城を修理してここに拠った。

元来、因幡の国は山名氏が守護大名であったが、前の守護・山名豊数は家臣の武田高信に追われて窮死

し、当時国は武田のものになっていた。

山名豊国(1548-1626年)
ya.山名豊国

豊数には豊国という弟がいたが、兄の仇を討って国を取りかえそうにも力足りず、但馬に蟄居していた。

鹿介はこのことを聞いた。

猜疑心ではなく、ここで豊国のために働いておいてやれば、後に尼子家再興の時の助けになるという打算

があったからでしょうが、鹿介は直ちに但馬に行き、豊国に会って

「しかじかの由、武田を討って国を取り返して進ぜましょう」

と言った。

鹿介の武名は豊国も十分に聞いている。泣いて喜んだという。

鹿介は因幡に帰り、鳥取近くの瓶山に百数十人を従えて篭もり

「山名家のために逆臣・武田高信を討つ」

と宣言した。

武田は5百余人の兵を率いて攻め寄せてきたが、鹿介は一戦に撃破し、逃げる敵を追って無数の敵を討

取った。

そこに豊国も旧臣らを集めてやって来て、城をしばらく包囲すると武田はついに屈服し、城を明け渡して去

り、豊国がかわって城主になった。

豊国は鹿介に感謝し、厚遇した。

しかし、人間というものはあさましく、嫉妬に讒謗(ざんぼう)が起こった。

「長くいるべきところではない」

と、鹿介が考えている時、立原源太兵衛が京都から、至急上洛せよといってきた。

鹿介は京へ上った。1572年のことです。

京都には立原の他に、尼子勝久も来ていた。



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いつもありがとうございます。


sakura 20150130





『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:岩国
関ヶ原の戦い後、毛利氏は山陰の萩に減封され、吉川広家には岩国3万石の所領が与えられて岩国領の初代領主となっています。



                                       <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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No title

100名城達成おめでとうございます
私は残り21 九州山陽山陰です
ここからが遠くて・・・今年中になんとか頑張りたいんですが
今後ともよろしくお願いします

noboseri24 さま

noboseri24さん、こんばんわー

> 私は残り21 九州山陽山陰です

随分、消化されましたねー。

中国地方を廻るのに時間かかりますよね。
私も中国が残ってしまい、津和野城が最後になりました。

No title

こんばんは
津和野は行きづらいですね
どうやって行こうか悩んでいます

noboseri24 さま

noboseri24さん、こんばんわー

津和野はただ一城残ってしまいましたので、広島空港から
レンタカーで2.5時間くらいかけて走りました><

萩城とセットがいいのではないでしょうか。

No title

萩は今年ブームになっているんでしょうね
ありがとうございます
頑張って見ます また情報よろしくお願いします

noboseri24 さま

noboseri24さん、こんばんわー

廻りにくい中国ですが、がんばってくださいね!

No title

頑張ります また報告しますね

noboseri24 さま

noboseri24さん、こんばんわー

気をつけてお廻りくださいね。
ご報告を楽しみにしております♪
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Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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