我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その41

『信長に謁見』

京都は信長の天下になっていた。

信長は鹿介らが京都から出雲に去った前年に、将軍・義昭を奉じて入京したが、その後、勢いは上がる一方

で、この前々年には浅井・朝倉の連合軍を江州・姉川で撃破し、この前年には比叡山を焼討ちし、すでに近畿

も一手に治め、その鉾先は西に向かって伸びようとしていた。

織田信長(1534-1584年)
od.織田信長公

西に伸びるとは毛利の勢力と戦うことです。

「この人こそ倚(よ)るべし!」

これが、尼子勝久、鹿介、立原源太兵衛の一致した意見であった。

鹿介と立原は明智光秀に頼んで、信長が岐阜から上洛する途中、近江の大津で信長に謁見した。

信長は2人に杯を与え、鹿介に四十里鹿毛と名つける駿馬、立原には貞宗の刀を引出ものとした。

2人は

「中国御征伐の際はおん先手を受け賜わり、おん道しるべ仰せつけられとうござる。お力をもって本国出雲を

われらが主人勝久に賜わりたし」

と願い出た。

信長は

「願いの旨、聞き届けおく。山陰道は明智日向に先陣を命じおきたければ、日向が手に属して忠義をはげめ

よ」

と答えた。




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いつもありがとうございます。



pig 20150203



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫ (1月31日の問題)
正解:毛利氏に攻められた
山名豊国は、山中鹿助ら支援を得て因幡山名氏の家督を継承するが、1573年、毛利氏の武将・吉川元春に攻められて降伏して毛利氏の軍門に下っています。



                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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鹿くん、ふぁいっ

こんばんは。いつもお世話になっております。
おお、鹿くんが信長さまに謁見♪単純でまっつぐで強い鹿くん、信長さまの目にはネギを背負って来たように見えたり、しませんよね?

らびラン、楽しみなのねー♪めっちゃ甘えてるぅ~(≧∇≦)
昨日のぴょん巻きをかじってごめんねっ。今日はお鼻をがぶっと。
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