美濃のマムシ 「斎藤道三」 その12

『頼芸と勘九郎の共通の敵』

土岐頼芸の胸に自信と兄に対する憎悪心が根を下ろすと、頼芸には勘九郎(道三)がなくてはならない寵臣

となった。

共通に敬愛する人を持つ時より、共通する憎い人を持つ時の方が親密になるのは、人間の悲しい性(さが)

ですね。

土岐氏の居城・鷺山城碑
sa.鷺山城碑 002

謀叛の計画が実現性を帯びてささやきあうようになると、頼芸はますます勘九郎を寵愛信任し、ついには

深芳野という側室を勘九郎にくれるほどになった。

勘九郎の心を引き付けて離すまいとしてのことでしょう。 深芳野さんは美人であったといいます。

これは1526年12月のことで、勘九郎33歳の時。

深芳野さんは翌年6月10日に男子を産んでいます。


あらら、6月10日は私の誕生日と同じです。まさか私では・・・。 ちなみに車のナンバーも「610」です。

実はこの子は頼芸の子で、妊娠している側室を勘九郎に譲ったのです。

勘九郎はこの子を豊太丸と名づけ、自分の子として育てています。

勘九郎は深芳野を貰って、ずいぶん愛して豊太丸(後の斎藤義龍)の後に3人も男子を産ませていますが、

側室という身分を改めていません。

しかし、油売り時代の奈良屋又兵衛の娘を引き続き正妻としていたのでもないようです。

彼はのちに土岐の一族である明智氏の娘を正妻に迎えているのです。



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pig 20150303



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:尾張
美濃国では嫡男の盛頼(頼武)派と次男の頼芸派に分かれ、1517年12月27日に両派の合戦となっています。
この合戦は盛頼派が勝利し、頼芸派は尾張に亡命していますが、前守護代斎藤彦四郎と連絡を取り、逆襲の機会を狙っています。



                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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