美濃のマムシ 「斎藤道三」 その18

『帰蝶(濃姫)産まれる』

明智氏は土岐氏の一族で、東美濃随一の名家です。

新九郎(道三)は、これと縁を組めば東美濃の諸家は、みな手中に収めることができるとみて、

「よし、この娘をもらおう」

と思ったのでしょうか。

清洲城の濃姫
no.濃姫

この明智光継の孫が日向守光秀(明智光秀)であるというのです。

この縁組にも、新九郎は土岐頼芸を利用しています。

頼芸に嘆願し、明智家に命じて貰ったばかりか、媒酌もさせているのです。

1533年2月1日、明智の姫君(小見の方)は稲葉山城に入輿した。

新九郎40歳。小見の方21歳であった。

小見の方は1535年に女子を産んでいますが、この姫君が後に織田信長と結婚した帰蝶です。

この帰蝶のことを濃姫と一般的に言っていますが、濃姫は名前ではなく漢文式の呼び方で、斉の国から

奥方を斉姫といい、越の国から来た奥方を越姫と呼んだのと同じで、単に美濃から嫁いで来た奥方という

意味で濃姫と呼んだそうです。




ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。


武蔵松山城攻めのpiglet (2010.4.12 piglet2歳)
pig 20150312



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:斉藤義龍
1556年、美濃領主・斎藤道三、義龍親子が争い、明智氏は中立を守っていたが、勝利した義龍は、明智氏が尾張勢と親しく東美濃諸族にも影響力を持つためこれを攻め、明智城は築城以来210年余りで落城。
落城の時、城主だった光秀は一族再興のため城を脱出し、後には信長の下で異例の大出世をし、本能寺の変を起こしています。(出展:可児市観光協会HP)

≪今日の問題≫


                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

でっかー

こんばんは。いつもお世話になっております。
やはり欲しいか、貴種の血が!嫌だなぁ、なんか、いやー。

pigletくんが小柄なのか、石碑がでかいのか。ぷりっちりの白毛がかわいいなー。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわ~♪

貴種は血は、下賤好みの家康さん以外は共通の好物だったの
でしょうねー。

石碑がでか過ぎです。
武蔵国では松山城は結構有名で、小田原成敗では前田軍、上杉軍が
攻め、真田昌幸や直江兼続などが布陣しています。
プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ