戦国の快男子 その3

『不識庵謙信に許された手』

直江兼続は、伏見城や聚楽第に出仕すると、陪臣でありながら陪臣の扱いではなく、諸大名と膝ぐみで対談

したといいますが、江戸時代になっても江戸城中でのあしらいは別で、老中ですら、手を膝から降ろして挨拶

をしたといい「山城殿」と、殿づけで話しかけたという。

身にそなわった貫禄があったのでしょう。

天地人の妻夫木さん
na.直江兼続(妻夫木聡)

また、これは伏見城での話だという。

諸大名列座している時、伊達正宗がふところから小判を取り出して、人々に披露した。

「これが、近頃つくり出された小判というものでござる」

天正16年(1588年)のことでしょうか。この年に大判、小判ができていますから。

大名らは、めずらしがって

「ほう、どれどれ、なるほどこれが小判であるか」

と、順々に手に取って眺めた。

やがて、末座にいた兼続のところに廻ってきた。

兼続は扇子を開いてそれを受け、女の子が羽根をつくようにして、扇子の上でひっくり返して眺めていた。

政宗は、兼続は陪臣であるから遠慮してそうするのであろうと思って言った。

「苦しゅうござらぬ。手に取ってご覧あれよ」

すると兼続は

「拙者のこの手は不識庵謙信の時より許されて采配を取って先陣の下知をしております。誰の手にかかった

か知れぬ。かかる卑しいものを取ればけがれます故、こうして扇子で受けているのでござる。」

といって扇子を跳ねて、ポイと政宗の方に投げ返したという。

さすがの政宗も一言もなく、にがり切っているだけであったという。



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いつもありがとうございます。



pig 20150412



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:山城守
直江兼続は、1583年には山城守を称し、1586年には主君・景勝は従四位下・左近衛権少将に昇叙転任し、兼続も従五位下に叙せられています。

≪今日の問題≫


                            <参考文献:参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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No title

こんばんは。お邪魔しました。
わ、本当に真逆の「義」と愛の甲冑のお方にですねー!
また楽しみでございます。
 
piglet坊ちゃま ラビランいかがでしたでしょう? 今回は男気面子揃ってるといいなーと。(*^^*)

おきまちあき さま

おきまちあきさん、こんばんわ~♪

いつもありがとうございます!

すっかりマムシさんに毒されてしまいましたので、口直しに
なっています^^

ラビランは天気が良くて、おかげさまで楽しむことができした。
でも、大好きなお友達が欠席なったのですよー><
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