『直江兼続』 その4

『義と愛民の志』 その4

【慈愛の心をもって民を哀れむ】

兼続が上杉謙信とともに過ごした時期は長くありません。

景勝とともに春日山城に引き取られてから、1578年に謙信が没するまで、わずか数年に過ぎません。

しかし、最も多感な10代の青春期を戦国きっての偉大な戦術家のもとで過ごしたことは、その後の兼続の人

生に多大な影響を与えています。

七尾城 (七尾城の登城記は「こちら」です。)
na.七尾城 01

この時期、謙信は長年対立していた一向宗と和睦し、北陸路を侵し始めた織田軍と対決すべく、みずから軍

勢を率いて越中、能登への出陣を繰り返しています。

1577年には能登七尾城を落し、さらに柴田勝家らの織田勢を加賀手取川に破って、その強さを誇っていま

す。

そんな上杉軍の戦いぶりを兼続は間近で目にし、謙信の戦術を現場で学んだのです。

後年、出羽最上氏と長谷堂合戦の際、兼続はみずから殿(しんがり)をつとめ、謙信直伝の「懸(かが)り引き」

の策を用いて見事な退却戦を演じ、これを成功させています。

しかし、兼続が謙信から学び取った最も大きかったものは、その精神性にあったのです。

謙信は、語録のなかで

「大将の根底とするところは、仁義礼智信の五を規(のり)とし、慈愛をもって衆人を哀れみ・・・。」(北越軍談)

と、説いています。

大将は合戦に強いことは勿論だが、その根底に仁義智信の五常を備え

「慈愛の心をもって民を哀れむことだ」

謙信は、そう考えていたのです。

直江兼続は謙信の「義」の精神とともに、民を愛し、民とともに生きる心を引き継いだという。



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pig 20150422


                                <参考文献:参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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