『直江兼続』 その18

『父祖伝来の山河に別れ』 その5

【上杉家の会津への転封】

奥羽の地には、岩出山の伊達政宗、山形の最上義光など、一筋縄ではいかぬ面々がちらばっています。

そこで秀吉は

「氏郷の跡を継ぎ、奥羽の鎮撫たり得る者といえば、上杉の武名以外にない。石高を120万石に加増し、

3年の在国を認め、この間、上方勤番も免除する」

という破格の条件をもって、景勝に会津への転封をうながした。

春日山城から領内の上越市を見下ろす
ka.春日山城 002

これを「上杉三代日記」は、

「慶長3年(1598年)、秀吉公上意にて景勝会津へ、百万石にて国替」

と記しているが、旧蒲生領の会津・米沢92万石に加え、上杉領の佐渡・庄内を加えれば120万石の大

封となる計算であった。

さすがに景勝は困惑した。

上杉家と越後には2百数年にもおよぶ繋がりがあり、父祖伝来の山河に対する愛惜の思いはもとより、

領民との情誼においても、一朝一夕には絶ち切れぬものがあり、秀吉の移封の奨めを拒絶かなわぬこ

とと思いながらも迷ったのです。

その迷いを押し切ったのが兼続であった。

景勝から相談を受けた兼続は、即座に「会津に移りましょう」と答えたという。

それで迷いの吹っ切れた景勝が、秀吉に承諾を伝えると、秀吉はふと思いついたように

「直江山城には、米沢30万石を分け与えるように」

と言い添えたことから、秀吉と兼続の間には、すでにこの密談があったのではないかと、一瞬景勝は疑

惑の念を抱いたという話も残っているとか。



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いつもありがとうございます。




sakura 20150525



                                     <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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ずるー

こんにちは。いつもお世話になっております。
秀吉のやり方の好きじゃないとこ、出たー。これにうはうはすると、ろくなことにならないイメージです。
兼続、実はどうなの。やはり、うはうはなの?

うおー、お嬢様、お似合いですわよー(≧∇≦)お顔がつぶれてなくて何よりです。

うふふ、かわいい。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわー♪

はい、秀吉さんが満開しています。
兼続さんは、謙信の遺言を曲げたときから、普通の男なのです^^

30万石とは本当に大大名ですから、鼻息が荒かったでしょうねー。

さくらは、ときどきかわいい顔をしますが、いつもはボケーっとしています^^
ネザーと比べて、毛か長いので夏はかわいそうです><
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