『直江兼続』 その19

『父祖伝来の山河に別れ』 その6

【律義者の景勝】

兼続の米沢30万石といえば、景勝の後に越後に入った堀秀治と同格で、加藤清正が25万石、浅野長政

は21万石、小西行長は20万石、石田三成ですら19万石なのです。

一陪臣に過ぎない直江兼続の30万石は類例のない破格の処遇であり、景勝が驚いても不思議でないの

です。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

その破格の厚遇、太閤秀吉ならやってのけそうな気がしますし、また兼続の才覚を知る者なら納得もある

でしょうが、普通であれば6万石や3万石が現実的だと思います。

ですが「上杉に山城あり」と知られた兼続が、諸大名と対等に交遊していたエピソードとも思い合わせると、

30万石は話として面白いと思われます。

こうして上杉景勝は、越後から会津へ移りますが、「上杉将士書上」は興味深いことを伝えています。

かねて不識庵謙信を尊崇していた徳川家康が、景勝に対しても

「殊に律義者と思召し、殊の外御懇なり、景勝、会津転封の時も、鉄砲50丁、羅紗20間、樽肴添へて、

御祝遣され」

とあります。

このわずか2年後の1600年のいわゆる関ヶ原合戦の引き金となっった家康の会津討伐行を思うと感慨

深いものがあります。

秀吉に最後まで義理立てする景勝という漢(おとこ)は、やはり芯からの律義者であったのでしょう。



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いつもありがとうございます。



pig 20150526



                                      <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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非公開コメント

暑いです

こんばんは。いつもお世話になっております。
あや。すみません、昨日、フライングしました。

秀吉の人の心を鷲掴み(但し後で高くつく)政策、面白いですね。かねたんと殿の仲を裂こうとしたんでしょうか。
家康が謙信さまに憧れて景勝にもへりくだっていたところは、いかにも彼らしいですなぁ。

あー、暑い。pigletくん、サマーカットにしなくても大丈夫ですか?

つねまる さま

つねまるさん、おばんですばぁーい♪

なるほど、かねたんと殿の仲を裂こうとした。という着眼は面白いですね♪
視点が斬新で、小説を書けると思います☆

> 家康が謙信さまに憧れて景勝にもへりくだっていたところは、いかにも彼らしいですなぁ。

家康さんは、人質からの成り上がり者ですから、名家に一目おいていたのでしょう。
信長と違うところでしょうね。
武田家の戦術を取り入れるくらいですから、ある意味合理主義者だっかのかな。

戦国武将は、みな個性豊かですからかじるのが楽しいですね。
史実もはっきりしないことですから・・・。

> あー、暑い。pigletくん、サマーカットにしなくても大丈夫ですか?

あひゃ、動物愛護協会のおばさまたちの顔が目の前に、飛んできちゃいました♪
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