『直江兼続』 その21

『関ヶ原決戦の秘策』 その2

【判断基準は「義」】

景勝が秀吉に接近していく過程の交渉の殆どは、兼続と三成の間でなされており、年代順にその軌跡をたど

ると、1586年5月16日付けで、三成は兼続に書状を送っています。

佐和山城の三成公像 (佐和山城登城記は「こちら」です。)
is.石田三成 002

その内容は、小牧・長久手の戦いの後、秀吉と徳川家康の和睦が進んでいるので、「関東境目等が決定する

以前に、景勝様御上洛然るべし」という内容の勧告書状です。

その勧告に従い、景勝は兼続らを従えて同年6月7日に上洛しています。このとき三成は前田利家らとともに

加賀の森下まで出迎え、上洛後は秀吉の使者として宿所を訪れ、在京の賄料300石を贈っています。

景勝が大坂城で秀吉と対面したのは6月14日で、その前後の大坂滞在中の接待役を務めたのも三成です。

同年9月、三成は帰国した兼続に書状とともに鉄砲3丁を贈っています。この時期、上杉家は新発田重家の

叛乱という国内問題を抱えており、早期解決をするよう激励したのです。

その後も景勝・兼続は連年のように上洛し、その都度、三成が接待役を務め友情を深めていたようです。

当時の道徳観・倫理観は現代と大きく異なり、友情という概念は極めて希薄だったにも関わらず、兼続と三成

は強い絆で結ばれていたのです。

2人は同年齢であり、軽輩の出身から異例の出世を遂げたという共通点もさることながら、考え方や生き方も

似ており、兼続と三成の判断基準は「義」にあり、正義、信義、恩義、仁義、道義といった義の概念を規範とし

て行動し、自らを律したのでしょう。



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いつもありがとうございます。



sakura 20150531



                                   <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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No title

こんにちわ〜
大河ドラマの「天地人」で、景勝と兼続が初めて
上洛する場面がありますが、私はその話が大好きです!

ブログを拝見していたらそれを思い出しました

まにゅの子 さま

まにゅの子さん、こんにちわー♪

甲斐姫が卒業された後の情報を首を長くして待っていました。

そうなんです。
天地人の火坂雅志編ですから、天地人そのまんまですよ^^

NHKで前田慶次をやっていますが、馬廻衆は出てきますが
与板衆はでて来ないですねー。

なんと、三成の子を慶次が育てています(◎o◎)
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