『直江兼続』 その27

『家康への痛烈な挑戦状』 その2

【直江状の要旨】

直江状を要約すると、以下のようになります。

「当国のことについて、上方では種々の雑説が流布し、徳川内府さまがご不審に思われるのも、もっともな

こと。しかしながら、京、伏見のあいだでさえ噂がやまないもので、ましてや会津は遠国であり、主君景勝も

若輩者でありゆえ、さまざまな噂が飛び交うのも。けだし当然と申せましょう。とはいえ、主君景勝の上洛が

遅れていることから、逆心ありとの噂が立てられるのは、まことにもって心外です。

一昨年、越後から会津へ国替になり、領内の仕置きをする間もなく、すぐに上洛いたしました。

昨年になって、ようやく会津へもどり、政治に手をつけはじめたなかり。そのような時、どうして上洛などでき

ましょうや。ことに会津は雪国にて、10月より3月までは何事もできませぬ。

これは当国の事情をご存じの方にお尋ねくさされば、直ぐにわかること。にも関わらず、景勝が上洛せぬと

は逆心あるためとは、…どこの誰がいってうるのでしょうか。」

直江状 (原本が見つかっておりませんので、偽書説もあります)
na.直江状

さらに兼続は次のように続けています。

「当年3月は、先代謙信の追善法要にあたり、それが済んだのち、夏ごろには上洛するとの考えで、武具な

ども調達しておりました。すぐに上洛せよとのことですが、まず讒言の正邪を糾弾すべきであるのに、それを

頭から信じ込んで上洛を命ずるのは、乳呑児の扱いにも等しきこと。のこのこと出かけて行って、そ知らぬ顔

で人と交わる当世凧は、上杉家の家風とは違います。

景勝が間違っているのか、内府様に表裏があるのか、世の評判が決めましょう。

とにかく、千言万句もいらぬこと。景勝には別心など、もうとうありませぬ。上洛しようにもできないように仕向

けているのはそちらのほう。上洛できるかどうかは、むしろ内府様の分別しだいと申せましょう。

このまま会津に在国し、太閤様の掟にそむき、幼少の秀頼君とことを構えたのでは、たとえ天下の主になっ

たとしても悪名はまぬがれず、末代までの恥となります。そんなことも考えずに行動をするような愚か者では

ござりませぬゆえ、どうかご安心されよ。

ただし、讒人の申すことを真に受け、当方に不義の汚名を着せようというのであれば、是非におよばず、もは

や誓紙も約束も必要なし、失礼なことも少なくありませぬが、愚見を述べたまで」

痛快な書状です。



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sakura 20150609




                                        <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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