『直江兼続』 その29

『家康への痛烈な挑戦状』 その4

【家康に好機到来】

会津の直江兼続と近江佐和山城の石田三成は、たがいに心を許し合う盟友であったという。

秀吉の死後、家康の野望があらわになったとき

「上杉は、東国で立つ。家康が会津に兵を向けたならば、がら空きになった上方で石田殿は満を持して兵を

挙げられよ」

「おとりになってくれるのだな」

「東西でわれらが連携して挙兵すれば、家康は二方面に対処せざるを得ず、兵力は半減する」

兼続と三成の間で、このような相談がなされていたというのはテレビドラマなのでしょう。

岡崎城の家康公(1543-1616年)
to.家康 岡崎城

どちらも感情に任せてことを起こすような軽率な男ではない。

両者はあらかじめ、決戦に向けた申し合わせがあったのかも知れませんが、どうだったのでしょう。

家康を激怒させた直江状は、徳川軍を東に誘い出すための周到な罠であったのでしょうが、家康も百戦練磨

の老獪な古つわものです。

秀吉の死後の政局で、家康は戦わずして三成を佐和山隠退へ追い込み、加賀の前田利長を屈服さえるなど、

着々と天下取りへの足固めをしているのです。

こうした家康の動きに警戒心を持つ者も多く、政権奪取のためには、一戦して方をつけねばならぬ。

と家康が腹をくくっていた。

そこへ届いたのが直江状なのです。

激怒したふりをしながらその一方では「好機到来・・・」

と、膝を叩いて喜んだのかもしれません。

上杉征伐を大義名分にすれば、豊臣政権に従っている諸大名を、みずからの軍事指揮下に糾合でいること

ができる。

また、上方を留守にすることで近江佐和山に残っている目障りな石田三成を挙兵させ、豊臣政権維持派を一

掃するきっかけになる。

兼続が叩きつけた直江状により、天下の政局はそれまでの政治闘争から、一気に軍事による決戦へとなだれ

込んでいったのです。



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pig 20150610




                                   <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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