『直江兼続』 その31

『兼続と慶次郎』 その2

【幻に終わった決戦】

会津若松郊外の神指原に新城を築きはじめた上杉家に対し、家康は会津討伐の陣触れを発し、東征軍12万

がこれに従った。

小山評定跡 (小山評定跡の記事は「こちら」です。)
ko.小山評定跡

上杉景勝、直江兼続主従は、白河の革籠原に東征軍を引き入れ、一気に殲滅する秘策を立てた。

組外御扶持方(くみほかごふちかた)の組頭として上杉軍の一翼を担う慶次郎も

「家康めに一槍つけてくれよう」

と、手ぐすね引いて東征軍を待ち構えた。

しかし、この作戦は実行に移されることはなかった。

石田三成が上方で挙兵したため、その報を聞いた家康が、下野小山から軍勢を西へ反転させたからです。

このとき、慶次郎は

「いまこそ出撃のときだ。背後を衝き、敵を殲滅する絶好の機会ではないか」

と主張。

兼続もこれに賛同したが、卑怯を嫌う景勝が

「敵の背後を襲うのは、上杉家のいくさにあらず」

と、断を下し、上杉、徳川の決戦は幻に終わったのです。



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                                         <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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はるばる来てた熊野まで

こんばんは。いつもお世話になっております。
熊野の資料を漁っていたら、兼続の奥さんが熊野詣をしていた事が出てきました。

「紀州田辺万代記」の寛永4(1627年)年の記録に、「4月に直江山城守様後室が熊野ご参詣。御宿は新斎。高野山の一条院が御供。」と。

直江兼続と熊野の関わりは、山形県南陽市宮内の熊野神社の社殿修復に直江兼続が大旦那として当たった事のようです。

様々な戦や内政に苦心する兼続を支えた(と思う)妻、お船の方。はるばる熊野まで来ていたんですねー。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわ~♪

すっかり返信が遅くなってすみません。

なんと、お船さんが熊野に足を運んでいるのですか!

> こんばんは。いつもお世話になっております。

> 「紀州田辺万代記」の寛永4(1627年)年の記録に、「4月に直江山城守様後室が熊野ご参詣。御宿は新斎。高野山の一条院が御供。」と。

1619年に兼続が没すると、お船さんは江戸住まいをし、1625年に兼続が生前に出版した
「直江版文選」の再版を行っていますので、この頃に熊野に行ったのでしょうね。


> 直江兼続と熊野の関わりは、山形県南陽市宮内の熊野神社の社殿修復に直江兼続が大旦那として当たった事のようです。
> 様々な戦や内政に苦心する兼続を支えた(と思う)妻、お船の方。はるばる熊野まで来ていたんですねー。

はい。
まったく知らなかったので、調べてみました。
1604年、東北のお伊勢さんと呼ばれる熊野大社の修復工事に大旦那として兼続が参加しているのですめ。
なんと、兼続と政宗の棟札が並んでいるそうです。

勉強になりました。
ありがとうございます!
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