『直江兼続』 その37

『兼続と慶次郎』 その8

【仕えるに足りるのはこの家のみ】

前田慶次郎と4人の朱槍衆は、喊声をあげて迫る最上の兵を、突き伏せ、蹴散らし、体を張って鬼神のごとく

大暴れした。

前田慶次郎(1533-1605年)
ma.前田慶次郎(利益)

慶次郎たちを援護するように、上杉家古参の水原親憲の鉄砲隊が、街道わきの山の上から敵勢めがけて一

斉射撃を加えた。

この時、敵将・最上義光は兜に銃弾を受けた。

貫通こそしなかったが、最上家伝来の金覆輪筋兜の篠垂が欠け、生々しく弾痕が残った。

銃弾を受けた最上義光の兜 (最上義光歴史館に展示してあります)
mo.最上義光 兜

慶次郎らの命がけの奮戦により、直江兼続は無事、上杉領に生還をはたした。

関ヶ原合戦の戦後処理で、上杉軍は会津若松120万石から、米沢30万石に減封され、譜代でない組外御

扶持方(くみほかごふちかた)の侍たちは、次々に上杉家を去っています。

しかし、慶次郎は

「関ヶ原の戦で、諸大名たちの心の底がよくわかった。仕えるに足りるのは、やはりこの家のみだ」

と上杉家を離れなかった。

米沢市堂森善光寺の供養塔 (前田慶次郎を訪ねて米沢・堂森の旅は「こちら」です。)
ke.慶次郎 010

慶次郎は米沢郊外の堂森に「無苦庵」なる草庵を建て、近くに湧き出す清水で茶をたて、雪月花を友として

風流三昧の暮らしをしたという。



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いつもありがとうございます。


ma.前田慶次郎(ゆる~い慶次郎)


                                      <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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☆○○○ さま

☆〇〇〇さん、こんにちわ~♪

> 先週で終わりましたがNHKドラマで「かぶきもの慶次」を見てました

私も時々みました!
慶次が三成の子を育てた、ということが創作過ぎますけど・・・。
米沢の慶次だけでは、ドラマにならなかったのでしょうかね^^

> こちらで過去のカテゴリーなどを見せて貰ってました(笑)

ありがとうございます。
この記事では、阿国との接点が臭いますけどね><

最近、蝶の記事が多かったようですが、なにか萌えがあったのでしょうか!
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