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『直江兼続』 その38

『上杉鷹山が師と仰ぐ』 その1

【米沢への転封】

上杉鷹山といえば、財政難で苦しんでいた米沢藩を藩政改革で見事に立ち直らせた米沢藩9代目の名君と

して有名です。

その鷹山が師と仰ぎ、政策上で参考にしたのが、直江兼続でした。

上杉鷹山(1751-1822年)
ue.上杉鷹山

兼続が政治力を発揮したのは、1600年の関ヶ原の戦いが徳川家康の勝利に終わり、上杉家が存亡の危

機に陥ったときのことです。

家康と敵対していた上杉景勝の居城・会津若松城では和戦両論が論議されたが、景勝と兼続は意を決し、

家康に謝罪することにした。

1601年7月1日、景勝と兼続は家康の子・結城秀康や家臣・本多正信、榊原康政を頼って上洛した。

本多正信はかねてから兼続と親交があり、上杉家に好意をもっていたようです。

1601年8月16日、結城秀康に伴われて伏見城で家康に謝罪。

翌17日、会津120万石から、兼続の居城があった米沢30万石を命じられています。

このときの兼続の情勢判断が見事であったといえるのでしょう。

上杉家は取潰されても仕方ない状況であったが、兼続の手腕で米沢30万石に留まったのです。

とはいえ、120万石から30万石へと、石高は1/4になってしまったのです。さらに会津時代の家臣の多く

が、景勝や兼続を慕って上杉家を見捨てずについてきたし、上杉家も減らそうとはしなかった。

そこで米沢転封にあたって、家臣には収入を1/3に減らすという条件をつけています。

兼続自身も5万石あった自分の所領の殆どを、家臣たちに分け与えています。



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いつもありがとうございます。



pig 20150624



                                       <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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なぜだー

こんばんは。いつもお世話になっております。
なぜ上杉さんちは少なくなっても残ったんでしょうか。かねたん、何をしたー!?

pigletくんは、かほり玉のようないい匂いがするのかしら。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわ~♪

> なぜ上杉さんちは少なくなっても残ったんでしょうか。かねたん、何をしたー!?

悲しいよね、、越後の虎も泣いているでしょう><

秀吉のくちぐるまの載せられて、会津に出向いたのが悪かったのでしょう^^

ということは、やっぱり「かねたん」ですねー。


> pigletくんは、かほり玉のようないい匂いがするのかしら。

男pigletだからでしょうか^^ うさぎは無臭ですけどネ。

急にパワーを上げますから、本人ビックリします。
いつものことですから、、


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