『直江兼続』 その43

『現代人に示唆する兼続の誇り』 その3

【生き残ったときの決断と行動(1)】

関ヶ原合戦で徳川家康が大勝したという報告が入ったとき

「もはやこと終われり」

と決断して、軍を返す。

このとき兼続は自ら殿(しんがり)を勤めている。

天地人の兼続(妻夫木さん)
na.直江兼継(妻夫木さん)

兼続にすれば、今度の攻略はすべて自分に責任があり、「この際、死に場所を得よう」と考えてのことだっ

たのでしょう。

しかし、無事に会津に戻ったのです。

戦後処理が行われ、上杉景勝は領地を全部没収された。

この時、兼続は家康に懇願したのだという。

・自分の領地米沢30万石は、故関白殿下(秀吉)から頂戴したものであるが、この際これも返上する。

・しかし、返上する米沢30万石は改めて主人・上杉景勝に与えていただきたい。

というものです。

家康はこれを承知した。

直江兼続は豊臣秀吉から特別な扱いを受けていたのです。

大名の家老と言う陪臣でありながら、秀吉は兼続に羽柴あるいは豊臣の姓を名乗ることを許し、景勝とは

別枠で30万石を与えていたのです。

家康はそのいきさつを知っていたし、また

「この際、直江兼続を罰すると、ほかにも同じような不満分子がでる」

とタヌキ親父ぶりを発揮し、兼続の願いを入れたのでしょう。

上杉景勝は、いってみれば倒産会社の社長であって、関連会社のところに転がりこんだようなものです。

兼続に

「おぬしに5万石あたえる」

と景勝がいうのを辞退し、わずか5千石程度で残りを全部返上し、ほかの家臣たちの給与にまわしてい

ます。




ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。



pig 20150702



                                     <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

No title

pigletちゃん

すごくカワイイ!

いい写真ですね

そして、直江兼次や大河ドラマ「天地人」よかったですよね

また、あんな大河ドラマが見たいな

直江兼次に魅力があったから面白かったのでしょうね






まにゅの子 さま

まにゅの子さん、こんにちは。

いつもありがとうございます!

天地人は爽快なドラマでしたから楽しめましたね♪
当時の春日山は賑わっていましたが、今はどうなっているのでしょう。
米沢城は、いつ行っても観光客が多いですけど・・・。

甲斐姫がかなり若返ったようですね。
記事を首を長くしてまっています^^
プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ