『四国の雄 長宗我部元親』 その4

『一条家と長宗我部家のつながり』

当時の一条家の当主は前関白・教房(のりふさ)、有名な学者公家・一条兼良(かねら)の長男です。

応仁の乱によって、兼良は奈良に疎開し、教房は土佐に疎開しています。

土佐の幡多郡が一条家の領地だったからです。

岡豊城二の段
ok.岡豊城二の段

何しろ前関白です。土佐の豪族らはこれを尊敬し、参り仕えるものが多かったので、そのまま土佐に居すわ

り土佐の国司となって、幡多郡中村に館づくりして代々ここに住んでいます。

土佐物語と四国軍記では、教房が土佐に来るとき、長宗我部氏の当時の当主・文兼が舟を兵庫まで出して

迎え、土佐に着いてから暫くはおのれの居城・岡豊のひとつの郭をその宿所として恭敬の限りをつくしたと

記しています。

領地があるからといって、いきなり乗り込むようなことを当時の京都公家がするはずはなく、段取りをつけ威

儀を正して乗り込んだに違いありません。

その出迎えの任に長宗我部氏があたったという理由を、土佐物語は、文兼の父・元親(主人公とは違う)が

先年京都で、一条家に出入りして大変世話になったので、

「一条殿のご厚恩、七生までも忘るべからず。わが子孫、報謝の志を存すべし。もしこれに背かば長く弓矢

の冥加尽きぬべし」

と言いおいたという。

一条家と長曾我部家とは深い因縁に結ばれていたということです。




ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。


sakura 20150715




                                    <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ