『四国の雄 長宗我部元親』 その26

『元親と秀吉の和睦』

秀吉の四国征伐は、総大将は秀吉の弟・秀長で3カ月後の6月に行われた。

一手は淡路を経由して阿波に入り、一手は中国路から讃岐の高松に入り、入っては伊予の新麻に入った。

兵数の総計12万3千に達していた。この大軍に攻め立てられてはたまりません。

元親はついに土佐一国を安堵する条件で降伏した。

多年の紛骨もなんの甲斐もなくなったが、これが人生というものなのでしょう。

明治以来、営々としてかせぎためてきた領土を、先の大戦の惨敗でいっぺんに吹っ飛ばした現代日本人に

通じるところもあります。

豊臣大坂城
oo,大阪城 000

その年の10月、元親は秀吉にお礼言上のため京に上った。

大勢を召し連れてははばかりありと、覚えのある兵50余人をすぐって、20日に浦戸を船出して堺に到着し、

秀長に連れられて秀吉に拝謁した。

秀吉は英雄の心を捕るのは秀吉の得意とするところです。

大いに優待して、備前兼光2尺5寸の太刀・金子100枚・乗馬1頭、梨地蒔絵の鞍に鐙や厚房のしりがい、

胸がいまでかけてくれたという。

この時はすぐに帰国の許しが出て、急ぎ帰ったが翌年正月年賀のためにまた上って大坂城に出仕すると、

秀吉は善美つくして饗応した後、元親の召連れた家臣3人ともども天守に連れ上って見物させ、伊達染め

の羽織を元親に与えた。

「これはおれが物好きで染めさせたのよ」

元親は次の間に退って着用して出て来てお礼言上すると、秀吉は笑って

「おお、おお、よう似合うぞ」

と誉め、天守を下りると、一室に連れて入り

「今日の引出ものにくれるぞ」

と言って、柄と鞘を金蘭で包んだ太刀を5腰与え、3人の家臣にも名刀を1腰ずつ与え、なおこの前上洛し

た時に人質として連れて来て差し出しておいた次男・五郎二郎を返してくれたというのです。

元親が骨髄にしみてありがたく思ったことは言うまでもなかった。



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大阪城のライトアップ (2014年4月21日撮影)
大阪城ライトアップ 002



                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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