『四国の雄 長宗我部元親』 その31
『浮世の夢を見尽くした元親』
仙石ほどの勇士が、敗戦になると人間は意外なくらい臆病になるものらしい。
当時、仙石のことをこう落首したという。
仙石は四国をさして逃げにけり
三国一の臆病者かな
秀吉が激怒したことは言うまでもないが、その怒りはもっぱら仙石秀久に向けられ、秀久は勘当されている。
長宗我部元親(1539-1599年)

元親に対してはたいへん同情して、籐堂高虎を遣わして元親の嫡男・信親の死を手厚く弔わせたばかりか、
島津氏降伏の後、大隅の国の2郡を与えようとしています。
元親の悲しみを慰めてやろうとの、秀吉のあたたかい心からであったのでしょうが、元親はこれを辞退してい
ます。
数10年の間、努力して、やっと四国を手中に入れたかと思うと、半年の後には土佐一国を残して手離さなけ
ればならず、今また愛する子を死なせた彼としては、浮世の夢を見尽くした気がしていたのかもしれません。
恐らく元親にはもう領地欲などなかったのでしょう。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。
先週の週末に移動中に出会った花火です。

<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
仙石ほどの勇士が、敗戦になると人間は意外なくらい臆病になるものらしい。
当時、仙石のことをこう落首したという。
仙石は四国をさして逃げにけり
三国一の臆病者かな
秀吉が激怒したことは言うまでもないが、その怒りはもっぱら仙石秀久に向けられ、秀久は勘当されている。
長宗我部元親(1539-1599年)

元親に対してはたいへん同情して、籐堂高虎を遣わして元親の嫡男・信親の死を手厚く弔わせたばかりか、
島津氏降伏の後、大隅の国の2郡を与えようとしています。
元親の悲しみを慰めてやろうとの、秀吉のあたたかい心からであったのでしょうが、元親はこれを辞退してい
ます。
数10年の間、努力して、やっと四国を手中に入れたかと思うと、半年の後には土佐一国を残して手離さなけ
ればならず、今また愛する子を死なせた彼としては、浮世の夢を見尽くした気がしていたのかもしれません。
恐らく元親にはもう領地欲などなかったのでしょう。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。
先週の週末に移動中に出会った花火です。

<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
- 関連記事
-
- 『四国の雄 長宗我部元親』 その33 (2015/09/01)
- 『四国の雄 長宗我部元親』 その32 (2015/08/29)
- 『四国の雄 長宗我部元親』 その31 (2015/08/28)
- 『四国の雄 長宗我部元親』 その30 (2015/08/27)
- 『四国の雄 長宗我部元親』 その29 (2015/08/26)
スポンサーサイト