『秀吉の大陸進出の野望』 その4

『秀吉の真意』

使節らの旅館は大徳寺であった。

食事などの対応は悪くないが外出は禁じられ軟禁の状態であったので、使節らはたいへん不満であった

という。

彼らは宗氏に拝みたおされた形で来ているので、おそろしく傲慢で、さんざん宗氏に文句を言う。

大徳寺金毛閣 (大徳寺訪問記は「こちら」です。)
三門

11月7日になって、やっと秀吉は聚楽第で使節らを引見した。

引見の儀式は無事に進んで、使節らは堺まで退去して、ここで秀吉の答書を待っていると、数日の後その

答書は来たが、その内容は使節らにとって、意外も意外、驚倒せんばかりの内容であった。

自らの武威を誇った後、

「一体、人間は長生きしても古来100歳になるはない。いかでか鬱しておわるべき。万里の道、大海の祖

を越えて、一超直ちに大明国に入り、その国の風俗を日本風に変え、日本の政化を永久に施さんこと、余

が方寸のうちにある。貴国これが先駆をなし、入朝するならば遠き慮(おもんばかり)あるものは近き憂なし

というのに相当しよう。遠邦の小島でも後れて降伏して来るものは許さないつもりでいるのだ、貴国は余が

大明に入るの日、士率をひきいて余が軍営に来れ。いよいよ隣盟を重ねよう。余が望みは他になし、高名

を3国にかがやすことである云々」

使節らは初めて秀吉の真意を知ったわけです。

この時代の朝鮮は中国を宗主国と仰ぐ属国なのです。

その宗主国を征伐する道案内をせよと言うのですから、驚くのも無理のないことです。

腹を立てて

「こんな答書は持って帰れない」

と、係り役人に異議を唱え、宗氏にくってかかる始末であったという。



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石田三成の大徳寺三玄院
三玄院 004


                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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