『秀吉の大陸進出の野望』 その7

『加藤清正と小西行長 1 』

加藤清正が聚楽第に行き、控えの間に通って暫くすると小西行長が来た。

領地が隣り合っている仲であるから挨拶はするが、清正と行長は親しくはない。といっても、この頃までは

不和ではなく、普通の仲であった。

「拙者は殿下のお召しでまいったのでござるが、貴殿は?」

と問いかけると

「拙者もそうでござる」

「さようか」

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

清正は、秀吉がなぜ自分を呼んだのか、大体見当はついているつもりであった。

小西が実戦の勇者であるとは清正には思われないのである。現に天草の地侍どもの一揆を鎮めかねた

ほどだ。

間もなく、係りの者が来て、ふたりを秀吉の前に連れていった。

「主計(かずえ)、摂津、両人ともずっと進めい。もそっと。もそっと」

と、上段の間のつい傍までいざり寄らせておいて、言う。

「その方ども、佐々成政が後に、ならんで肥後の領主にしたのは、ひとえに異国征伐の先鋒とするためで

あった。

やっと時が来た。その方ども、一日かわりに先鋒をつとめよ。主計には鍋島加賀守、相良宮内大輔を寄騎

としてつける。摂津には宗対馬守、松浦法師、有馬修理太夫、大村新一郎、宇久大和守を寄騎としてつけ

る。しっかりつとめよ」

清正も小西も平伏して、同音に

「日本の数ある大名の中から、とくにお見立てをこうむって先鋒を受け賜わりますこと、武士の冥加にこの

上はございません。お礼申上げます。必ず粉骨、ご威光をもって高名を異国に輝かすことをお誓い申しま

す」

と奉答した。

秀吉は身をゆすって、からからと笑い

「小気味よいことを申す。あっぱれじゃぞ」

と言って、近習らに旗を用意させた。



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pig 20150909




                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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No title

こんにちは!

あの頃の価値観は今の私たちには、計り知れない部分がありますね
でも、上から言われたら断れない武士の気持ちは
現代の私でも痛いほどわかります

ま、清正さまは、秀吉様に出兵を言い渡された時
どう思ったかはわかりませんが。。

まにゅの子 さま

まにゅの子さん、こんにちは。

本当に価値観を覗いてみたいですね。
城址に立ち、遠い稜線を眺めて、兵たちは何を考え、どう立ち振る舞ったのだろうと思いを馳せています😊

清正さんは、力は強いが、あまり賢くはない戦うマシンであったような気がしてならません。
したがって、メチャ光栄に思った気がします。

岩国へ行かれたのですね。私も仕事の途中で行きましたので、珍しく電車で行きました🐷
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