『秀吉の大陸進出の野望』 その12

『三成の謀略 1』

小西行長は石田三成に会って、心配を告げた。

「ふむ、ふむ」

と、三成は聞いていたが

「わしもそれを案じていたところであったが、もう手は打ったよ」

と言った。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 001

「ほう?どういう手を?」

と、行長が問い返すと。三成は微笑みを浮かべて

「わしらは、殿下のために思うて、異国相手の戦争などにならないようにと、いろいろはたらいたが、ついに

この仕儀になった。これでわしらのことがばれて、殿下の不興(ふきょう)をこうむるようなことがあっては、

つまらん。殿下はお年のかげんで、きつうお気が短くなっておられる。悪くすると、切腹ものだからの。つま

らんわ。ハハハ」

気楽な調子で、ひとごとのように言う。

行長はじりじりする。

「それで、どういう手をお打ちになったのです。」

「おぬしらがお城を下がった後、殿下のご前に出て、高麗は国王をはじめ家老どもに至るまで、殿下のご武

威のほどをよく承知している筈であります。宗対馬守からもこれはよく申した筈であり、一昨年参ったあの国

の使者どももとっくり見て帰ったのでございますから、念のためもう一度、宗と行長に交渉させたらいかがで

しょうか。軍勢を率いて参っての交渉であれば、案外ころりとかしこまるかも知れません。念には念を入れる

がよいと存じますが、いかがでございましょうと、こう申上げたところ、殿下は、それもそうだ、そのように計ら

えと申された。されば、明朝、おぬしらが先鋒の面々のところに、その旨のお指示がまいることになっている」

行長はさとい男で

「なるほどわかった。一応の交渉をむしかえして、相手が聞き入れなんだら、そのままドッと攻め入るのでござ

るな。戦になってしまえば、以前の交渉の次第は一切わけのわからぬこととなってしまうという訳でござるな」

「その通り、それ故に、明朝のお指示は、おぬしと宋とが釜山浦に行き、おぬしの寄騎衆である松浦、有馬、

大村、宇久らは対馬に待機し、加藤清正とその寄騎衆らは壱岐の島に待機せよと出るはず。ここまでの計ら

いはわしがつけた故、ぬかりなく片をつけるのはおぬしの役だ」

と、三成は行長に打ち明けた。




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pig 20150914



                                      <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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