『秀吉の大陸進出の野望』 その28

『高麗の政治はよくない』

梁山に来るまでは、加藤清正の心は一筋に小西行長に追いついて面罵詰問することにあったが、小西軍

の進撃の速いことを考えて思案が変わった。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

小西の後など追っていては、何のために出陣したか訳のわからぬことになる。小西に苦情を言うのは後で

もよいことだ。この辺でおれはおれで働くが肝心だ。

そこで翌日から道を左にとって奇陽に向かった。

ここではじめて戦闘したが、敵は形ばかり防戦しただけで逃げ、すぐ奇陽城を陥れることができた。

翌日はさらに進んで熊川城に向かったが、ここもろくに戦わないで逃げた。

2度の戦闘をして、小西勢の進撃が速いわけがわかった。敵はおびえきって最初から逃げ腰になっている

のです。

世の中にはこんな国もあるのかと、呆れた。

少年の時から幾度の戦場に出て、戦場で成長したといってもよいほどの清正だが、こんな弱い敵に出遭っ

たことは初めてであった。

熊川で一泊して、さらに慶州を目指した。

この辺になると、釜山地方とは違って、住民らは少しもこの敵国の軍隊を恐れる色がなく、麦を刈ったり、

水田を耕したりしている。

道端に立ってめずらしげに見物している者もいる。

民衆というものは、領主の運命には冷淡であるが、領主が善政をしている国は、そうでないことを清正は経

験によって知っている。

山崎合戦の後の清洲会議で、柴田勝家の所望で江州長浜を勝家に譲らなければならなかった時、長浜の

領民らは心から悲しみ、そして、賤ヶ岳の戦いの時には秀吉に便利を図って働いたのです。

この悠々たる民らの姿を見て、高麗の政治はよくないと思った。



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清正公の熊本城
熊本城 008




                                      <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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