『秀吉の大陸進出の野望』 その29

『清正の道案内』

清正軍がある村で大休止した時であった。

歩哨の一人が、ひとりの朝鮮人を連れて来た。

「これは元来肥前の平戸の者で、久しくこの国に住んでいる者だそうでございます。日本語を喋りますが、

相当たどたどしいので、いつわりかと思いますが、こちらの話す言葉はわかります。ともかく連れて来まし

た」

という。

平戸城 (平戸城登城記は「こちら」です。)
hi.平戸城 001

普通の朝鮮の百姓の服装をしているが、あまり豊かとは思われない姿である。朝鮮式に生やしたあごひ

げには白いものがまじっている。

清正はみずから尋問した。

「お前は平戸の者か」

「へい、名は、徳五郎ですたい」

徳五郎というその男は、清正の尋問に対して、自分は若いときに出魚して暴風にあい、この国に漂着し、帰

国の便もないままに、帰化して、もう35年になるという。

妻をめとり子も何人かいるが、一日として故郷を忘れたことはない。今日は日本の大名衆がこの国に攻め

て来られたというので、せめてよそからでも日本人の様子を見、話し合う言葉なりとも聞きたいと思って出て

来たのであると、涙ながらに語った。

35年前といえば、まだ足利将軍の時代です。織田信長だって尾張の小大名に過ぎなかった。

徳五郎はしきりに日本のことを聞きたがった。今の将軍は誰か日本の大名たちは、まだ明けても暮れても

戦争をしているのか。

自分がいた頃の平戸の御領主は松浦様であったが、今でもそうであろうか。などと尋ねる。

清正はいちいちそれに答えてやった。徳五郎は驚いて、一語ごとに嘆息した。

やがて清正は言った。

「そなた当国に35年もいるのであれば、当国の地理などよくわきまえているであろうな」

「少しは存じていますばってん、こぎゃん貧者なもんですけん、あまり方々に行きまっせん。ようは知らんと

です」

「都への道はしらんか」

「さあ覚えておりますかな。ずっと昔、もう20年も前に、てまえの村の村長どのが都へ行きなさる時、荷物持

ちに雇われて行った事がいっぺんだげござすばってん、20年も昔のことですけん。覚えとらんかも知れまっ

せん」

と、いかにも心細そうに言う。

しかし、清正は喜んだ。



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熊本市役所から望む清正公の熊本城
熊本城 006



                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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