『秀吉の大陸進出の野望』 その42

『京城が目前』

清正は進軍にかかり少し行くと、物見に出ていた木村又蔵が馳せ帰ってきた。

「ここは京城の東南にあたりますが、京城から見て東北の方の遠山に旗印がおびただしく見えますのは、

小西行長の軍勢と見えます。お急ぎあるべし」

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

清正は軍勢に急ぐように言いつけ、木村とともに駆け抜けて進むと京城の町が見えた。

城壁があり、その城壁の外回りに人家がびっしりと並んでいる。清正も釜山上陸以来、ここまで来る間に

朝鮮の城とは町全体を取巻く城壁のことを言い、その城壁の内にも外にも町があることを知っている。

「あれこそ当国の都ぞ!者ども急げ!急げ!」

と、軍勢どもに指図しておいて、家来の貴田孫兵衛を呼び寄せた。

貴田孫兵衛は、豊前の彦山の麓にある槻村の百姓で六助といっていたが、剛力無双で秀吉の九州征伐

の時、御前角力で勇力をあらわしたので武士に取り立てられ、貴田孫兵衛と名のって清正に仕えるように

なった者であった。

清正は孫兵衛を呼ぶと、一通の書状を書いた。


とりいそぎ言上いたします。京城から一里ほどのこちらに漢江と申す河があります。ただちに押し渡りまし

て、京城へ進撃し今や目前にせまりました。これより乗り込みます。なお、追って御注進いたします。恐々

謹言

5月2日

                                                    加藤主計頭清正
長束大蔵大輔殿
木下半助殿
御陣所


「その方は直ちに釜山に引き返し、名護屋のご本営にまいり、これを差し出した上、くわしく申上げるよう」

と言った。

孫兵衛は背に負った母衣をゆらし、馬に飛び乗り従騎を連れて後方に駆け去った。



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いつもありがとうございます。

  
清正公の巨大な熊本城 <クリックで拡大します>
ku.熊本城 エリア図



                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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ひろーい

こんばんは。いつもお世話になっております。
ひろーいですねー、熊本城。さすが細川さんち・・・なのか、清正さんち、なのか。
見たいのは清正君が作った所ですが、きっと現地へ行ったら小躍りしながら全部見ようとして玉砕するんだろうなー。

つねまる さま

つねまるさん、おばんですばーい♪

あはぁ~、細川さんは熊本城には存在しませんですばい。
熊本城入口の行幸(みゆき)橋に「せいしょこさん」が鎮座していますからね♪

熊本城は清正君が造って、細川君が借家で住んでいただけですよね。
一般の観光客のように半日で見ようと思ったら、完全に玉砕します。
つねまるさんの場合は、2日は必要ですよ!

悲しいかな、大天守・小天守はコンクリートですけどね。

それに熊本城がよく見えるホテルを用意しておりますので、ぜひ、ご利用くださいね。
熊本ホテルキャッスル>ホテル日航熊本>アークホテル熊本城前
>:これは料金ですばい^^
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