『秀吉の大陸進出の野望』 その44

『京城入り』

清正の馬は逞しいうえに、清正自身が大男なのです。

小さな馬にまたがった小男の徳五郎は、高い山を仰ぐような形で清正を見上げながら言う。

「国王はもういませんばい」

「いないとはなんじゃ。どうしたのか」

「都ば落ちて、奥のほうへ逃げて行きなさったそうですたい。おとといの夜中じゃそうですばい。兵も逃げ散り、

公家衆も逃げ散り、役人衆もみんな逃げてしまいましたけん、横道もんどもが暴れまくって、宮殿や役所に入

り込み物は取り出す、火はつける。えらいことですわ」

「なんじゃと!」

都の方を臨むと、いきなりもくもくと黒煙が上がった。

加藤清正の愛馬「帝釈栗毛」(本妙寺)
ka.加藤清正愛馬

戦の時、隙をうかがって暴民が掠奪・暴行・放火などの乱暴するのは常のことですが、清正のこれまでの経験

では、こんな大都会が戦禍の巷になったことはなかった。

また長期に渡っての空城であったこともない。どんなに長くても数時間の後には占領軍が入ったのです。

京城は戸数16,7万の大都会で、しかもまる2日間も守備する者がいなかったのです。

暴民どもは極楽城入った餓鬼の群れのように荒れまわったに違いないのです。

清正は一層馬足を早め、京城の南大門に入ったのは、夜の8時頃であった。

それと殆んど同時に、小西軍も東大門を入って来た。

いずれも一人として防ぐものはいない。市民らも逃げ去ったとみえて人影はない。

暴民らもいないのです。

宮殿や官署のある地点まで行ってみると、人の姿のまるで見えないところで壮麗な建物が炎々と燃えてい

るだけであった。

清正は報告書を書いて名護屋に送った後、王宮前の広場に夜陣の設営をさせたが、その前にきびしく将士

らをいましめた。

「金銀・財宝・布帛の類を勝手に分捕りしてはならぬ。たとえ捨ててあるものでも、御軍令の条々にそむくこと

と心得よ。犯す者は斬るぞ」

と。


熊本城二様の石垣 (右側が清正公が築いた石垣)
ku.熊本城 20110204 010


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いつもありがとうございます。




<参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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えびぞりー

こんばんは。いつもお世話になっております。
ううう。清正、頑張って積んだのに。すごく頑張って作ったのに。
大柄だったそうですが、どれくらいの身長だったのでしょうか。
帝釈栗毛さん、乗せてもだいじょうぶ?

つねまる さま

つねまるさん、こんにちわー♪

そう、清正くんはがんばって石をつみましたー。
ん、でも城造りの間は、殆んど朝鮮で戦っていたようですね。

> 大柄だったそうですが、どれくらいの身長だったのでしょうか。

何インチになるのかわかりませんが、六尺三寸もあったとか。

> 帝釈栗毛さん、乗せてもだいじょうぶ?

清正くんが乗れるような頑丈な馬であったようですね~。
この頃は、木曽馬みたいに日本の馬も小さかったようですけど、
エゲレスから競走馬でも連れてきたのでしょうか。
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