『秀吉の大陸進出の野望』 その49

『朝鮮の猜疑心』

「自分は尚州で、小西軍の捕虜になりました。行長殿は自分が倭学通事で、達者に日本語が話せるのを知

られると、自分を前にしてこう言われました。『わしは先年日本の太閤の使節になって朝鮮に来たことがある。

小西行長(1558-1600年)
ko.小西行長 003

その時、当国の大官の李徳馨殿と懇意になったが、徳馨殿は壮健でおられるだろうか』

自分は壮健でおられると答えました。すると小西殿は

『今度のわが国の出兵はあくまで貴国を攻め取ろうというつもりで始まったものではない。太閤の意思は大

明国に使を通じようというだけのことで、そのとりなしを貴国に頼んだのだが、貴国が疑心を挟んで承諾しな

いので、ついこの不祥事になったのである。もし、貴国が日本のこの願いをきいてくれるなら、和睦は直ちに

なるのである。ついては、貴下を釈放するから、京城に帰って、わしの手紙を李徳馨殿に届けてくれまいか。

決して貴国のために不利になることではないから』

と申されました」

景応舜の言葉はなお続く。

「わたしは小西殿の仰せられることを承諾しました。小西殿は書面をしたためて、わたくしにお渡しになりまし

た。わたくしは京城に帰りましたが、もはや国王は京城にはおられず、京城は乱民のため混乱しきっていま

す。わたくしは直ぐ国王の後を追って、さまざまの難儀の後、やっと黄州で追いつきました。

李徳馨殿に会って小西殿のことばを伝え、書面を渡しました。李徳馨は

『ともかくも陛下に申し上げてみる。もし、殿下が行けと仰せられるなら、わしは行こう。国のためには、死は

厭(いと)うところでない』

と仰せられ、もはや夜陰ではありましたが、わたしもお連れになって、行在所に参られました

陛下は大官方とともに、わたくしをも御前に召して、委細のことをお聞きとりになった後、わたくしには遠慮を

仰せつけられました。定めし、ご相談が行われたのでございましょう。

数時間の後、李徳馨殿が出てまいられ、わたくしに仰せられました。

『わしと今ひとりとが使者を仰せつけられて参ることになった。ついては、その方も供せよ』

もちろん、わたくしはお受けしました。

わたくしは、その2人のお支度が出来るのを待っておりますと・・・」

と、ここまで語ると、景応舜の表情がかわった。いかにも苦々しげな笑いが浮かんで、言葉を途切れさせた

のです。



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sa-ko 20151101




                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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